07.25.18:40
清河八郎出島に行く‼

▼「西遊記事」(公益財団法人清河八郎記念館所蔵、山形県指定文化財)
▼公益財団法人清河八郎記念館正面


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11.01.09:26
令和6年度特別企画展ギャラリートーク開催
令和6年10月24日(木)、公益財団法人清河八郎記念館を会場に、今年の特別企画展[「赤心報国回天倡始」の尊皇攘夷]を提案、企画した池田定志氏(元庄内町教育長、現公益財団法人清河八郎記念館理事)によるギャラリートークが開催されました。約30人の聴講者を前にして、清河八郎は幕末期に庶民の苦しみを救わんと、「経世済民」の理想を掲げ、挙国一致(オールジャパン)による攘夷決行を目指したと解説してくれました。
▼開会の挨拶をする廣田幸記公益財団法人清河八郎記念館館長
▼今年の特別企画展の狙いを解説する池田定志氏

※ 以下の文章は、池田氏本人から講義の大筋としていただいた原稿です。
八郎の尊皇攘夷は「赤心報国回天倡始」
尊攘急進派として九州遊説をし、志士たちを奮い立たせ、薩摩藩と京都挙兵を試み、明治維新の扉を開いた。
さらに、幕府の尽忠報国の志士募集に積極的に協力し浪士隊を結成した。後の新選組、新徴組となる。京都で尊皇攘夷運動が最高潮に高まる中で、幕府の攘夷活動の実行促すべく計画した。この機を活かし、朝廷のもと国を挙げて国難を乗り越えようとした企画は、時代がまだ熟していなかった。
八郎には薩摩藩であろうが幕府だろうが挙国一致の国造りの道筋になればよかった。外国に侮られないオールジャパンの国づくりを目指したと考えられる。
また、広く身分を超えて有能な人材を登用し、慎重に開国し、富国強兵をめざしたと推測される。心から体制の御一新を願い、命がけで時代を先取りした秀才であった。
▼開会の挨拶をする廣田幸記公益財団法人清河八郎記念館館長
▼今年の特別企画展の狙いを解説する池田定志氏
※ 以下の文章は、池田氏本人から講義の大筋としていただいた原稿です。

尊攘急進派として九州遊説をし、志士たちを奮い立たせ、薩摩藩と京都挙兵を試み、明治維新の扉を開いた。
さらに、幕府の尽忠報国の志士募集に積極的に協力し浪士隊を結成した。後の新選組、新徴組となる。京都で尊皇攘夷運動が最高潮に高まる中で、幕府の攘夷活動の実行促すべく計画した。この機を活かし、朝廷のもと国を挙げて国難を乗り越えようとした企画は、時代がまだ熟していなかった。
八郎には薩摩藩であろうが幕府だろうが挙国一致の国造りの道筋になればよかった。外国に侮られないオールジャパンの国づくりを目指したと考えられる。
また、広く身分を超えて有能な人材を登用し、慎重に開国し、富国強兵をめざしたと推測される。心から体制の御一新を願い、命がけで時代を先取りした秀才であった。
11.17.13:10
匠の技が冴える衝立を寄贈頂きました


衝立以外にも、多くの手桶やご自分の娘さんの結婚式に使う木製のぐい飲みなども作られたそうです。



記念館では入り口に展示してありますのでご来館頂き、是非緻密にして繊細な組子模様と和のデザインを直接鑑賞して頂きたいと思います。
贈呈頂きました梅木様には改めて感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
07.05.16:15
令和5年度 特別企画展開催中
清河八郎没後160年
草莽の志士・清河八郎の軌跡
浪士組結成から新徴組組・新選組誕生へ
今年は、清河八郎が江戸麻布一ノ橋付近で、幕府の刺客に討たれた文久3(1863)年から160年を迎えました。
尊皇攘夷の先鋒にならんと結成された「虎尾の会」から「浪士組」、更には「新徴組」への移り変わり。また「新選組」の分離など諸外国の圧力に揺れる幕末において、八郎が書き残した「浪士組」結成・京都上洛に関する資料と手紙や、暗殺される前夜に書き残した手紙等貴重な資料を展示しています。日本を諸外国からの侵入を防ぐため、自ら先頭になり命を懸けた行動を再認識する企画展と致しました。
現在庄内町では、大河ドラマ誘致実現を目指し、「庄内町清河八郎大河ドラマ誘致協議会」が活動しております。その成果が実るためにも、皆様のお越しを心からお待ち申し上げます。日本史に残した大きな軌跡を振り返る展示を公開しています。
▼新徴組隊旗
▼新選組隊旗