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05.24.13:59

「清河八郎関係書簡集 五」を山形新聞で紹介頂きました。

emoji5月20日の山形新聞で「庄内町史料第五号 清河八郎関係書簡集五」を紹介して頂きました。
 早速、山形市在住の複数の方から問い合わせがあったとのことです。新聞の力に感謝です。


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05.21.14:09

「清河八郎関係書簡集 五」が発刊されました

emoji庄内町教育委員会編集による、庄内町史資料第五号「清河八郎関係書簡集 五」がこの程発刊されました。平成24年度から取り組んできた清河八郎の書簡を纏めた町史資料の編集も、5年目で第五号の発刊となります。
 本号は安政4(1857)年4月29日付、八郎28歳、父宛書簡から同6年秋までの2年4カ月までの45通を載せています。



emojiその一部を紹介します。
 安政4(1857)年10月江戸・八郎より父宛

 【大意】
 アメリカ船は昨年7月伊豆下田に来航、将軍家に謁見、国王の書状を差し出す爲、江戸城への登城を願い出て許された。
 諸大名、国主方には不同意の人も多く、特に水戸老公等不同意だが結局幕府の執政に一任となった。
 一行は江戸表に着き、外交官ハリス等は21日江戸城に登城し国王の書状を差し出した。江戸城では厚くもてなし、食事の献立は33品と聞いた。国王の書状の内容は不明だが無事終わる。
 我が国の国情から見て、各国使節との交渉等の対応について、幕府においては混乱が生じ、苦慮することが予想される。また、外国との生活習慣の相違等も知らせ、やがて外国との戦争が生じ、国内騒乱となることを憂うる書簡である。



emoji最初に【大意】を記載し、三段構成にしています。一段目が原本写真、二段目が原文翻刻、三段目に読み下し分を載せています。
emoji一冊1,000円(税込み)
emojiお問い合わせ、ご購入は「清河八郎記念館」又は庄内町教育委員会 社会教育課・文化スポーツ推進係(emoji0234-56-3312)までお願いします。

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04.21.20:25

庄内町史資料第三号「清河八郎関係書簡三」が発刊されました。

 清河八郎没後150年にあたる、平成24年度に庄内町史資料第一号「清河八郎関係書簡一」を、続いて25年度には第二集を、そして平成26年度に第三集を発刊しました。
 第三集は、八郎が本格的な活動を始める開塾以前、江戸遊学期に父宛に書いたものが中心になっています。この間は八郎の青年期に当たり、自身の学門観、社会観を読み取ることができます。

 

▼ 上段に原文の写真を載せ、中断に原文、そして下段に分かり易いように読み下し文を掲載しています。


 
▼ 坂本龍馬ともここでの試合で太刀合った、千葉周作北辰一刀流玄武館からの免許箇條目録も掲載しております。


 


 第一号、第二号も、庄内町役場の社会教育課(立川庁舎2階)、町立図書館、亀ノ尾の里資料館、清河八郎記念館で販売しています。1部1,000円です。皆様ぜひご覧ください。
 
■問合せ 社会教育課社会教育係 ☎ 0234-56-3320
 代表メール: shakaikyoiku@town.shonai.lg.jp   





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11.09.16:03

清河八郎関連書籍がぞくぞく発売!!

① 「庄内町史資料 第一号 清河八郎関係書簡 一」 
 明治維新の魁として動乱の幕末を駆け抜けた勤皇の志士・清河八郎。没後150年となる今年、八郎が記した書簡の一部をまとめ、町史資料として発刊しました。
 尊王攘夷の決意や浪士組の編成といった、幕末の情勢を記した書簡をはじめ、母や妹に宛てた平仮名で書かれた書簡、骨董の売買に関する書簡など、これまで知られていなかった八郎の多彩な人物像が垣間見える内容となっています。また、全ページに写真を配し、原文と読み下し文を付けました。
 庄内町役場の社会教育課(立川庁舎2階)、町立図書館、亀ノ尾の里資料館、清河八郎記念館で販売しています。1部1,000円です。皆様ぜひご覧ください。
 
■問合せ 社会教育課社会教育係 ☎ 0234-56-3320

②「新釈 清河八郎伝」
  平成9年に発行された「清河八郎グラフィティ」が改定した「新釈 清河八郎伝」が発売されました。
  【目次】
   ◎清河八郎とその時代
   ◎清河八郎伝
   ◎その後の「虎尾の会」同志
   ◎清河八郎とは、どんな人だったのか
  清河八郎記念館で販売中です。こちらも1部1,000円。皆様ぜひご覧ください。 

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11.26.09:26

藤沢周平氏の『回天の門』

kaiten.jpg「たそがれ清衛兵」「蝉しぐれ」「隠し剣 鬼の爪」等、近年になって鶴岡市出身の藤沢周平氏の作品がピックアップされ、映画化等で話題を呼んでいることは皆様ご周知のとおりと思います。
 藤沢氏は『回天の門』という小説で清河八郎の激動の生涯を余すところなく執筆されております。司馬遼太郎氏の「幕末-奇妙なり八郎-」「燃えよ剣」や、柴田錬三郎さんの「清河八郎」も同じように清河八郎のことを描いていますが、藤沢氏の八郎観は視点が大きく異なります。

 「回天の門」執筆までの経緯は、初代清河八郎記念館(庄内町清川)館長の故成沢米三氏が藤沢氏の恩師に当たり、成沢氏に小説化を願われたためと言われています。成沢氏本人も「清河八郎」という著書があり、「回天の門」のベースとなっています。

 一般的に清河八郎は「策士」というヒールなイメージがありますが、実際は八郎という人物の真意が何なのか?非常に難しいとされ歴史的な評価は定まっていないとううのが本当のところです。
 尊皇攘夷の志が強く、「虎尾の会」を結成するなど倒幕の中心でありながら幕臣の山岡鉄舟、松岡 万らと親密な関係にあり親しく交わり、一見幕吏とのつながりを見せつつも、幕府の許しを受け将軍の護衛と称し「浪士組」を結成するも上京後倒幕攘夷の軍隊へと回天画策をするなど、その表面上の動きだけを取ると理解し難い点が多々あります。そこに八郎のヒール的要素と受け取られやすい誤解が生じているのかもしれません。しかし、藤沢氏の「回天の門」は、そんな八郎の姿を、実に人間臭く、葛藤の道のりを歩む人間として描くことに成功しています。庄内という風土と人を知る藤沢氏であったからこそなのかもしれません。
 
藤沢ブームに乗り「回天の門」映画化!を願いつつ・・・・^^

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