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04.25.03:38

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  • 04/25/03:38

12.10.14:47

坂本龍馬が浪士組!?

 文久2年(1862年)に清河八郎が提案した浪士組。この浪士組に坂本龍馬が参加する可能性があったことはあまり知られていない。他に、八郎と親交の深かった、平野国臣、真木和泉、宮部鼎蔵、藤本鉄石、久坂玄瑞など、当時の錚々たる浪士たちが、幕府が取り立てるべき浪士としてリストアップされていた。
 事実、当時の幕府の目付で、最後の箱館奉行を務めた「杉浦梅潭」が記した「浪士一件」という史料(国文学研究資料館所蔵)の中で、浪士組に参加すべきメンバーとして坂本龍馬や久坂玄瑞をリストアップされている。

 杉浦が記した「浪士一件」の最初(文久二年の記事)に記されているのが、清河八郎、池田徳太郎、石坂宗順(周造)、内藤久七郎、堀江芳之助、杉浦直三郎、■塚行蔵、磯新蔵、大久保枩之助、坂本龍馬、松浦竹四郎、村上俊五郎、全部で12人。これは浪士取立計画を推進した幕臣・松平主税助が杉浦に提出した浪士名簿である。
その後、文久二年十二月二十日の記事では、幕府が取り立てるべき浪士の筆頭として、清河八郎の名前が挙げられ、さらに文久三年の最初の記事には、幕府が取り立てるべき浪士たちとして、坂本龍馬・平野国臣・真木和泉・間崎哲馬・宮部鼎蔵・西郷隆盛・久坂玄瑞・藤本鉄石など、八郎に関係の深い人物の名前リストアップされている。これも、リストアップは松平主税助であり、八郎との協議があったものと推測される。
 坂本龍馬の名が、浪士取立計画当初から挙げられていることから、八郎と交流の深かった土佐藩士の間崎哲馬は龍馬とも親交があり、間崎から浪士組の計画についての話があったと考えられる。

 文久三年正月二十二日には、浪士取立計画を採用した政事総裁職の松平春嶽、杉浦梅潭、勝海舟(当時、春嶽を批判していた)、坂本龍馬の四人が同じ船に乗り合わせ、浪士取立計画について議論をしている。杉浦梅潭が記した「経年記略」(『杉浦梅潭目付日記』に所収)に、このとき坂本龍馬との会話も記されているが、会話の内容は不明。浪士組についてどんな議論がなされたのか?その会話の記録は残されていない。

【参考】
◎ 『最後の箱館奉行の日記』
    (新潮選書:1995年)
◎ 『杉浦梅潭目付日記』
   (みずうみ書房:1991年)

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