04.26.23:59
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08.20.18:29
続 「清河八郎 文武体験こども塾」
現代の子供達に文武両道の精神を学んでもらおうと、「清河八郎 文武体験子ども塾」を8月8日(木)に清川公民館を主会場に実施しました。
参加してくれたのは立川小学校から5年生4人、6年生が5人の合計9名。子供達は夏休みだからこその貴重な体験を通し沢山の思い出を作った様子でした。
前回、午前の部をお届けしましたので、此処からは午後の部です。
▼ 午後からの最初は清川八郎記念館館長の広田さんから八郎について学びました。子供の時は「元司」と呼ばれていたのが何故八郎と名乗ったのか。何故剣術を学んだのか等について昼からの眠気も何のその興味深く学んだ様子でした。
▼ 八郎の生涯を描いた紙芝居を使用して楽しく学びました。
▼ 館長さんの準備してくれたクイズ形式のまとめに熱心に書き込んでいました。
▼ 文武両道の最後は剣道の体験です。剣道部ではない子供達も立川剣道連盟会長の五十嵐さんから基本の足さばきや型を指導して頂きました。
▼ いよいよ夕食の準備です。食事の下拵えから調理まで全て自分達で行います。5年生グル―プと6年生グル―プとに分かれ味の競い合いです。
▼ 調理が終わって「いただきます」の掛け声で夕食会の始まりです。自分達自らで手を掛けた味は最高と喜んでいました。
▼ 夕食が終ると後片付けをし、肝試しに相応しい暗さになるまで花火です。
花火が終わる頃はあたりはすっかり暗くなり御殿林の中を見通すことは出来なくなっていました。
いよいよ最後の肝試しの時間です。
肝試しは真っ暗闇の中。ストロボを使用するのもひかえましたので写真はありません。
6年生は二グループに分かれ怖いけれども何とか出発したのですが、5年生4人はなかなか出発しません。御殿林の入り口に近付いたまでは良かったのですが、黙って戻って来たのです。「おい、どうした行かないのか」と尋ねても「・・・・・・・」誰も声が出ません。「今日の最後なんだから勇気を出して行って来い」と急かせると、返ってきた返事は「僕達パスです」。これには参りました。あんなに元気な様子だったのに、暗闇は不得意の様です。何度か「行け」、「ヤダ」の押し問答の末、脅かし役の会長が林の中から迎えに来て、やっと大人同伴で林の中へと進むことが出来ました。
林の中でも色々ありましたが、通り抜けると再びいつもの元気が蘇えって来ました。一日だけの活動でしたが、きっと大人になっても忘れられない貴重な体験として子供達の記憶の中に刻まれたと思います。
保護者の皆さんには快く送り出して頂き、また送迎に協力を頂き心から感謝申し上げます。
現在清河八郎記念館では、八郎が母を伴って伊勢詣りに行った時の旅日記、「西遊草」の特別パネル展を開催しています。また出前講座を希望する方は気軽にご相談くださいお待ちしております。
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08.10.18:38
「清河八郎 文武体験子ども塾」を開催しました
現代の子供達に文武両道の精神を学んでもらおうと、「清河八郎 文武体験子ども塾」を8月8日(木)に清川公民館を主会場に実施しました。
参加してくれたのは立川小学校から5年生4人、6年生が5人の合計9名。子供達は夏休みだからこその貴重な体験を通し沢山の思い出を作った様子でした。
▼ 清川公民館での開校式
普段から顔馴染の子供達もやや緊張気味、清川公民館で正木顕彰会会長から開校の挨拶を頂いています。
▼ 午前中は、八郎の生家齋藤家の菩提寺である曹洞宗「金華山歓喜寺」での座禅体験と、八郎と妻お蓮の墓地についての説明を頂きました。
静まりかえった本堂に聞こえて来るのは遠くで鳴く蝉の声と、柳川住職の畳を擦る心地よい足音。普段では絶対に感ずることのない静寂の世界を体験していました。
▼ 座禅の最後は文殊菩薩に無事修行が終わりましたと御礼の焼香をします。神妙な子供達の顔が印象的でした。
▼ 八郎の生家齋藤治平衛家の墓地を訪れ、墓石は山岡鉄舟筆であること。お墓は、東京と京都それに清川の三箇所にあるとの説明を頂きました。
▼再び清川公民館に戻ってきたら楽しみにしていた昼食の時間です。
■ 長くなるので午後の部はまた後日お知らせします。
現在清河八郎記念館では、八郎が母を伴って伊勢詣りに行った時の旅日記、「西遊草」の特別パネル展を開催しています。また出前講座を希望する方は気軽にご相談くださいお待ちしております。
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06.03.17:59
続 回天の道と清川歴史の旅
5月26日、日曜日に開催された「回天の道と清川歴史の旅」の後篇です。
▼ 御諸皇子神社の次は、俳聖松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で最上川を下り、羽黒山へと向かう際に上陸した庄内藩の関所が有った場所にやって来ました。
▼ 清川歴史の旅の最後は御殿林へ、ここは庄内藩主の御殿が有った場所。そして戊辰戦争の時は官軍と庄内藩の戦場となった場所です。
マイクロバスで移動した後、いよいよ回天の道へ入ります。清河八郎が此処を通ったのが弘化4(1847)年5月、166年前の山道はどうだったか知ることはできませんが、同じ道を踏みしめ八郎の存在を感じながらの歩みでした。
▼ 入口のきつい登りを超えるとなだらかな杉に囲まれた小路が続きます。
▼ 休憩を取りながらの回天の道です。休憩中に山菜を見つけ話が弾んでいきます。
▼ 添川の皆さんが整備している展望台で集合写真です。ここからの眺望は最高です。皆さん初めて来られたようでその美しさに感動しておられました。
▼ 回天の道を終え昼食と入浴が待っている「北月山荘」へマイクロバスで移動します。汗を洗い流しスッキリした後の昼食は、心を込めた山菜料理と清流で育った焼きたての岩魚が待っていました。
これで春の行程は終了です。清川の歴史に触れ八郎の想いに触れた一日でした。参加頂いた皆さんお疲れさまでした。そしてご参加頂きありがとうございました。秋になりキノコが出る頃に再度開催しますのでまた別の料理を楽しみしてください。
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05.20.22:11
回天の道第二回調査に行って来ました。
▼ 思ったほど草も伸びておらずいたって安全に歩くことができました。途中にはこんな丸太でできた橋もあります。本当はひと跨ぎで行ける沢なんですが、地元の内藤さんが作ってくれたので「内藤橋」と命名しました。
▼ 「あけび」の若芽です。秋には収穫できるでしょう。「あけび」の味噌炒めは最高です。
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05.16.20:34
回天の道に案内看板を追加しました。
回天の道に案内看板を2枚新設して来ました。距離にして約3.2kmの道にこれで6枚の看板が出来上がったことになります。
1 これまで分かり辛かった三差路に「回天の道はこっちだよ~~。」の看板を新しく立てて来ました。
2 コースの中でも異彩を放つ根曲がりの松の場所には距離を示す看板を立てました。
※ 皆さん5月26日の「回天の道と清川歴史の旅」に是非ご参加ください。お待ちしております。
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