09.24.15:01
大鳥居竣工式典挙行
▼ 正木宮司から修祓を受ける参列者の皆さん
▼ 鳥居のお祓いをした後、正木宮司に続いて「くぐり初め」を行いました。
▼ 齋藤満修復員会委員長
▼ 細矢義弘菅睦建設株式会社庄内支店長
▼ 渡邊和能清河神社責任役員代表
▼ 一緒に拝礼する参加者の皆さん
▼ 正木宮司祝詞奏上
昭和37年鳥居が建立された経緯や、多くの浄財を寄せて頂いた事への感謝、文武両道の神を祭る神社に相応しく格調高い仕上がりと新技術により、以前より耐久性が保たれたことへの期待感を祭神である清河八郎公に語り掛けておりました。
▼ 施工会社への感謝状贈呈
正木宮司から、施工会社である菅睦建設株式会社庄内支店細矢義弘支店長へ感謝状が贈られました。
▼ 挨拶する正木宮司
昭和37年建立した当時の5人の地元出身篤志家へのお礼と、今回全国から浄財を寄せて貰ったことへの感謝の言葉があり、初代は60年余りで修復に至ったが、今回は新技術もありさらに長持ちしてもらいたいと挨拶がありました。
▼ 挨拶する齋藤満委員長
以前から修復の必要性を話題にしていた矢先、昨秋に来客者から危険との指摘を受け何とかしなければと思っていた。しかし清河神社は氏子組織が無い崇敬神社で、そんなことから参列された皆さんに修復委員会の委員を引き受けて頂いた事への感謝を述べ、さらに、これを機会に益々「歴史の里清川」への来客者が増え賑やかになることを期待したいと挨拶がありました。
▼ 式典終了後に記念写真の撮影です。
▼ 9月23日付山形新聞15面に掲載して頂きました。
▼9月24日付け「荘内日報」に掲載して頂きました。
今回の式典終了後に規約の定めにより修復委員会解散総会を予定しています。それが終わりますと本事業に御奉賛賜りました皆様へ礼状と記念品をお贈りする予定になっておりますので、今暫くお待ち願います。
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09.04.08:58
鳥居が修復されました
全国の皆様から温かい御奉賛を賜り、竣工名板の取り付けを除き鳥居の修復が完成いたしました。昭和37年に建立された鳥居でしたが、長年の風雪により剥離が顕著になり、参拝者への直接被害も懸念されておりました。神社会計だけでは対応しきれない多額な工事費を捻出するために当ブログや、全国の八郎支援者の皆様に直接呼びかけたところ、目標額150万円を超える185万円の御奉賛を賜りました。誠にありがたく皆様の八郎に寄せる志をこれからの活動の支えにしていきたいと思っております。
御奉賛賜りました皆様には、後日御礼の手紙と記念品をお送りさせて頂きますので今暫くお待ち願います。まずは、石目調吹付工法により威厳ある鳥居が蘇ったことをここに報告させて頂きます。
着工前

完成
御奉賛賜りました皆様には、後日御礼の手紙と記念品をお送りさせて頂きますので今暫くお待ち願います。まずは、石目調吹付工法により威厳ある鳥居が蘇ったことをここに報告させて頂きます。
07.22.22:29
大鳥居修復工事が始まりました。
昨日から足場工事が始まり、いよいよ本格的な工事に入ります。安全ネットが張られると中の様子が見れなくなりますので、今日現在の様子をお知らせします。
▼足場組立が完了した大鳥居(7月22日)
■ 施工会社:菅睦建設株式会社庄内支店
契約金額:2,178,000円(内消費税198,000円)
■ 修復工法:石目調吹付
■ 工 期:自 令和3年7月21日
至 令和3年8月20日
07.01.19:57
「御殿林」整備にご参加ください。
それぞれ25名を予定。(年齢、性別は問いません)
※昼食は事務局で準備します。
(庄内町役場清川出張所内)
電話:0234-57-2211
FAX:0234-57-2212
※ 参加者は全員事務局で傷害保険に加入します。
※ 当日はマスク着用をお願いします。
※ 受付時に検温を行い、37.5度c以上の場合は参加をお断り致しますので
ご了承ください。
※ 新型コロナウイルス拡大の場合は中止する場合があります。
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06.17.16:46
~維新の魁その所以~同志を求め全国行脚、その先は~
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文久元(1861)年5月21日、幕府の罠による無礼人切りにより追われる身となった八郎は、虎尾の会の同志、伊牟田尚平や安積五郎、村上俊五郎と共に逃亡者となり全国を転々としますが、それはまた「攘夷討幕」を唱え、決行に繋げる全国行脚でもありました。その行動の全てを自身が書き記した日記文「潜中記事」を読み解き、時系列に表記し展示しております。
約1年4ヶ月に及ぶ逃亡生活で、八郎はどんな勤皇志士たちと会い何を話したのか。国事奔走中に果たした八郎の役割を知る貴重な資料の数々を是非間近にご覧下さい。
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▼「潜中記事」「潜中記略」「潜中始末」(いずれも山形県指定文化財)
▼「潜中記事」潜行遊説中の記録として、詩96編、文20編を収めています。
▼「潜中記略」文久元(1861)年~2年7月‥‥‥神田お玉ヶ池の自宅に同志を集め、倒幕の画策を始めた頃から、翌2年の京都挙兵計画、寺田屋事変での挫折、その後江戸に向かうまでの記録。
明治18年7月、同志石坂周造によって出版されており、これに山岡鉄舟、高橋泥舟の序文が載っています。
▼「潜中始末」同じく潜行中の記録ですが、これのみが和文で書かれています。
『‥‥此処にて中元13日にあたりて家中招霊の祭りを設け、香花殊に情を感ぜしむ。嗚呼我、人間の子となりて終に祖宗の家にも近づきかね、先祖の祭りは殊更に、父母にも面会ならぬ身となるぞ悲しけれ。定めて故郷の父母の情もさぞかし感慨に沈みあるべしと痛心限りなし。‥‥』
潜行中に郷里清川近くまで行っていますが、庄内藩の探索が厳しく父母と面会するのを諦めています。その時の心情を記した一節です。
▼ 草津温泉の湯畑
▼「草津に歩みし百人」の表示
▼「清河八郎」の刻名石柱
▼11月30日(火)までの開催です。
