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06.03.08:14

令和6年清河神社例大祭

清河八郎は、文久3(1863)年旧暦4月13日(現5月30日)に、江戸麻布赤羽橋で幕府の刺客の手に掛かり亡くなっています。その祥月命日である5月30日(木)令和6年清河神社例大祭を斎行しました。
 前日に拝殿内の大掃除と国旗の掲示等、準備をしている時は小雨がぱらついていましたので、明日は晴れてくれることを八郎公に願ったのが見事に叶えられ、当日は五月晴れの青空が広がってくれました。

▼例大祭を祝福するかのように見事に晴れてくれました。




▼♬ドンドコトコトコ・
ドンドコトコトコ​♬​​​ 神事の始まりを告げる打鼓の軽快なリズムが拝殿に響き渡ります。




▼最初に修祓の儀により大麻で穢れを払います。




▼ご神体を迎え入れる降神の儀、「オ~~ォ、
オ~~ォ」と警蹕の声を神職が発します。


▼斎主祝詞奏上


▼次は日本九重流詩吟学会庄内支部会員による奉吟です。最初に総伝八段範​師土門登洲氏により、八郎が亡き妻お蓮を偲んで読んだ和歌、(さくら花「さくらばな たといちるとも ますらおの そでににおいを とどめざらめや」)等を吟じました。


▼土門氏の次に庄内支部長総伝八段相馬角洲氏に、日本九重流三代宗家作の「祭神清河八郎に捧ぐ」等を吟じて頂きました。


▼奉吟が終わると玉串奉奠です。(敬称を省略しております。)
奉奠者は、神社責任役員代表渡邊和能、山形県議会議員、公益財団法人清河八郎記念館理事長田澤伸一、庄内町長富樫透、庄内町議会議長石川保、衆議院議員内閣府特命担当大臣加藤鮎子・代理秘書金丸秀明、参議院議員芳賀道也・代理秘書関井美喜男、
新釈清河八郎伝著者加藤淳、株式会社荘内日報社代表取締役社長橋本政之、十和建設株式会社庄内町支店支店長後藤竹也、八郎母亀代生家鶴岡市三井家子孫三井洋一郎、最上峡芭蕉ライン観光株式会社代表取締役社長鈴木富士雄・代理企画販売次長南條裕司、大川周明顕彰会・大川周明子孫大川賢明、公益財団法人荘内南洲会理事長小野寺良信、湯の沢温泉地蔵の湯小野由夫、有限会社社寺工房上野代表取締役上野健二、日本郵便株式会社清川郵便局長佐藤徹也、最後に清川地区自治会長会会長渋谷俊雄の12名の方から拝礼して頂きました。







▼打鼓が行われ神事の最後を告げます。


▼神事が終わると斎主である正木尚文宮司から次のように挨拶がありました。
「私たちが小さかった頃は、清河神社とは呼ばないで八郎様、八郎様と呼んでいた。境内は子供たちの遊び場であり心の拠り所でもあった。最近は人口の急激な減少があり、多人数家族ではなく一人、二人の世帯が多くなってしまった。そんな中で5月26日には清川地区の環境保全活動が行われ、約50名の皆さんがこの神社周辺や御殿林、関所、官軍墓碑、それに御諸皇子神社周辺を綺麗にしてもらった。大変ありがたく思っている。また先日「からふる幼稚園」園児が清川散策を行っていた。子供たちの声が清川で聞こえたし、余目中学校の生徒20名が記念館に訪れていた。子供たちに地元を知ってもらうことは大変大事だと思っている。」と話していました。



これで神事が終了し直会に入るのですが、直会の部は後日掲載しますので暫らくお待ちください。

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