05.19.04:40
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07.13.22:30
企画展 若き清河八郎父への手紙でつづった江戸日記「清河塾開塾と商い」開催中!
安政2(1855)年、数え年26歳になった八郎はお蓮と夫婦になり、仙台での暮らしを経て江戸へ戻り、2度目の「清河塾」を開きますが再び火災で焼失しています。この頃国内は、コレラの大流行や米国総領事ハリスの来日、さらには勅許無しの日米通商条約締結など、世情が大きく揺れ動いた時代でした。八郎は3度目の塾を開く決意をし、資金繰りのため幼くして培った目利きを生かして美術品等の売買を行っています。その動きが故郷清川の父宛に送った手紙から読み解くことができます。是非八郎直筆の手紙を間近に見て頂きたいと思います。
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04.03.11:02
山形新聞「ふるさとの文化財」に掲載して頂きました。
本日(2017/04/03)の山形新聞5面「ふるさとの文化財」で清河八郎記念館所蔵の資料が紹介されておりました。肖像画掛け軸は実物を見て頂くとその精緻さを実感して頂けると思います。
皆さん記念館に足をお運びください。
桜が咲く頃の記念館と八郎を祀る「清河神社」です。
皆さん記念館に足をお運びください。
桜が咲く頃の記念館と八郎を祀る「清河神社」です。
07.08.08:43
紫陽花が見事ですよ
07.07.19:34
企画展「西遊草・・母との旅中記(りょちゅうき)」開催中
安政元(1855)年八郎が、母、亀代を伴って約6箇月を掛けて伊勢参りをした際に立ち寄った各地の状況や、日本の今に対する思いを書き記し、父宛に送った手紙を纏めた「西遊草」(山形県指定文化財)全八巻の中から抜粋して時系列に展示しております。
これまでは、漢文が主だった八郎の日記や手紙でしたが、旅が終わってから母や妹が読み易い様にと、ひらがなを多用した心配りが感じられ、幕末の激動の中でも、八郎の静寂な人生のひとコマを感じることが出来る手紙の数々を是非ご覧下さい。
これまでは、漢文が主だった八郎の日記や手紙でしたが、旅が終わってから母や妹が読み易い様にと、ひらがなを多用した心配りが感じられ、幕末の激動の中でも、八郎の静寂な人生のひとコマを感じることが出来る手紙の数々を是非ご覧下さい。