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04.22.09:43

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  • 04/22/09:43

06.22.11:57

清河神社例大祭(直会の部)

emoji「お蓮の梅植樹事業」が終了しますと、拝殿にテーブルを並べ例大祭の直会になりました。

emoji最初に庄内町議会議長吉宮茂様から祝辞を頂きました。



emojiスピーチで挨拶を頂いた「新釈清河八郎伝」著者の加藤淳氏。



emoji続いて、歴史研究家「あさくらゆう」氏が、最近発見された、八郎の献策によって編成された浪士組の新たな名簿、「浪士姓名簿」について解説を交え細かくお話して頂きました。

 

emoji歴史研究家の「あさくら ゆう」さん。



emoji元立川町長の清野義勝氏の発声で乾杯をし、直会となりました。

 
emojiラベルも名称もオリジナルの清酒「清河俱楽部」。お土産には最適です。


  
 emoji宴も盛り上がってはいましたが、万歳三唱を清川公民館長管原昭治氏にお願いしたところ、八郎は剣術の達人でもあったことから、即興で考えたという自称「北辰一刀流式万歳」を教えて頂きました。

emoji最初に「ばんざ~い」で両手を上にあげるのは共通ですが、その上げた手で剣道の正眼に構えた位置まで下して来て声は「と~~」でした。菅原館長のユニークでありながら、的を得た万歳に皆さん感心しきりでした。




 

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06.12.16:40

お蓮の梅植樹事業

≪160年越しの祝言 現代に蘇る夫婦愛≫

emoji式典が終わり、拝殿を直会会場に準備している間に、参列者皆さんの立会いの下、「お蓮の梅植樹事業」が行われました。


emojiお蓮は、天保11(1839)年、山形県東田川郡熊出村の医師・菅原正庵の四女として生まれています。

 家が貧しく、10歳のときに養女に出されていますが、17歳の時には遊郭に売られています。その年に客として上がった八郎と出会います。「虎尾の会」同志の安積五郎と共に鶴岡の湯田川温泉に遊びに出向いたときに、安積が酔った勢いで「節分の豆まきだ!」といい、酒宴の場でお金をばら撒きます。すると、酌をしていた女たちが一斉にお金に飛びつき、あられもなく奪い合いが始まりますが、1人だけ悲しげな眼をして端然と座っていたのがお蓮でした。遊女・酌婦と言えば最も身分の低い女とされていましたが、八郎はお蓮の「心」に惹かれたのです。お蓮の本名は高代と言いましたが、 「蓮の花は泥水に染まらずに香り高く咲いて清らかだ」と言って、八郎が命名したのが「お蓮」でした。当然、庄内でも富豪であった生家の斎藤家では大騒ぎとなり、八郎は勘当同然でお蓮と生活をすることになります。

 文久元(1861)年、八郎は町人無礼斬りで幕府の罠にはまると、お蓮は連坐して投獄されてしまいます。最後まで八郎を信じ、八郎の為にと耐え抜いたのでしたが、翌年文久2(1862)年に数え24歳で亡くなっています。

 この日移植された二本の苗木は、鶴岡市熊出(旧朝日村熊出)のお蓮生家に代々育って来た樹齢300年を超える梅の木から生まれた苗木で、NPO法人元気・まちネット代表の矢口氏が、神社の境内に植えて現代に二人の出会いを実現したらどうかとの提案を頂き、清河八郎顕彰会が準備し、実現させたものです。
 
emoji記念植樹で挨拶する「お蓮」生家の管原善一(鶴岡市熊出)さんです。
 「私の家に代々伝わって来た梅が、このように立派な式をして頂き、夫である八郎さんの傍に生き続けることに「お蓮」もきっと喜んでいると思います。どうか末永く育てていって貰いたいです。」と述べられました。



emoji記念植樹をする向かって左から、NPO法人元気・まちネット代表矢口正武氏、清河八郎顕彰会会長正木尚文氏、お蓮生家菅原善一氏



emoji向かって左から清河八郎生家親族であり、「新釈清河八郎伝」著者の加藤淳氏、庄内町長原田眞樹氏、庄内町議会議長吉宮茂氏

 


emoji参列者の皆さんと一緒に記念撮影です。


emojiこの後は例大祭直会になりますが、また後日といたします。

 

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06.01.17:51

清河神社例大祭が執り行われました

emoji爽やかな皐月の風がそよぐなか、清河八郎祥月命日に当たる5月30日(火)に、清河神社において例大祭が挙行されました。式典には関係者約60名が参列し、正木宮司の祝詞、神社本庁献幣使の祝詞に続き、日本九重流詩吟の会立川支部の皆さんから、八郎の辞世の句や、日本九重流三代宗家作の「清河八郎に捧ぐ」等が吟じられました。
 式典終了後の直会には48名が参加され、八郎の偉業を讃えながら、顕彰事業に対する様々なご意見を伺うことが出来ました。


emoji爽やかな皐月の風が心地よく感じられた5月30日(火)神社拝殿は大祭に相応しい飾り付けが行われました。




emoji最初に開式を伝える軽快な太鼓の音が拝殿に響きわたります。




emoji祀神をお招きする前に心身の罪穢(つみけがれ)を祓う修祓を受けます。




emoji修祓が終わると降神の儀です。正木宮司の手によって本殿の扉が開かれ、それと同時に「おぉ~~。おぉ~~。」と言う厳かな警蹕の声が場内に響き渡りました。
 
 


emoji正木宮司の祝詞。続いて神社本庁の使いである三浦献幣使の祝詞奏上がありました。

 



emoji清河神社奉納吟詠、八郎が自ら作った和歌「ふきおろせ」、「いざさらば」、そして亡き妻「お蓮」を偲んだ「さくら花」、さらには、辞世の句となった「魁て」、また漢詩「志を言う」等を伸びやかな声で吟じて頂きました。
 朗詠する日本九重流詩吟学会庄内支部の皆さん。一枚目が太田悠風(ゆうふう)教師奥伝五段、二枚目が土門登洲(とうしゅう)範師総伝八段(立川教場長)、三枚目が相馬角洲(かくしゅう)範師総伝八段の皆さんです。

 
   
 

 


emoji玉串奉奠では庄内町長様、庄内町議会議長様、参議院議員大沼みずほ様(代理)、参議院議員舟山康江様(代理)を初め各団体、機関の代表24名の皆さんから奉奠して頂きました。

 

emoji最後に正木尚文宮司から御礼の挨拶がありました。その中で、山形県知事吉村美恵子様から県民のあゆみ3月号の「にっこり知事室」で清河八郎について取り上げて頂いたことや、例大祭終了後に、八郎妻お蓮の生家に代々受け継がれてきた梅の木の植樹式を予定しており、梅の苗木を提供して頂いた、お蓮生家の管原さんにお礼の言葉を述べられました。

 

emojiこの後に「お蓮の梅植樹式」そして直会と続くことになるのですが、それは次回に掲載しますので暫くお待ち願います。

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05.24.13:59

「清河八郎関係書簡集 五」を山形新聞で紹介頂きました。

emoji5月20日の山形新聞で「庄内町史料第五号 清河八郎関係書簡集五」を紹介して頂きました。
 早速、山形市在住の複数の方から問い合わせがあったとのことです。新聞の力に感謝です。


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05.21.14:09

「清河八郎関係書簡集 五」が発刊されました

emoji庄内町教育委員会編集による、庄内町史資料第五号「清河八郎関係書簡集 五」がこの程発刊されました。平成24年度から取り組んできた清河八郎の書簡を纏めた町史資料の編集も、5年目で第五号の発刊となります。
 本号は安政4(1857)年4月29日付、八郎28歳、父宛書簡から同6年秋までの2年4カ月までの45通を載せています。



emojiその一部を紹介します。
 安政4(1857)年10月江戸・八郎より父宛

 【大意】
 アメリカ船は昨年7月伊豆下田に来航、将軍家に謁見、国王の書状を差し出す爲、江戸城への登城を願い出て許された。
 諸大名、国主方には不同意の人も多く、特に水戸老公等不同意だが結局幕府の執政に一任となった。
 一行は江戸表に着き、外交官ハリス等は21日江戸城に登城し国王の書状を差し出した。江戸城では厚くもてなし、食事の献立は33品と聞いた。国王の書状の内容は不明だが無事終わる。
 我が国の国情から見て、各国使節との交渉等の対応について、幕府においては混乱が生じ、苦慮することが予想される。また、外国との生活習慣の相違等も知らせ、やがて外国との戦争が生じ、国内騒乱となることを憂うる書簡である。



emoji最初に【大意】を記載し、三段構成にしています。一段目が原本写真、二段目が原文翻刻、三段目に読み下し分を載せています。
emoji一冊1,000円(税込み)
emojiお問い合わせ、ご購入は「清河八郎記念館」又は庄内町教育委員会 社会教育課・文化スポーツ推進係(emoji0234-56-3312)までお願いします。

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