05.21.14:09
「清河八郎関係書簡集 五」が発刊されました
庄内町教育委員会編集による、庄内町史資料第五号「清河八郎関係書簡集 五」がこの程発刊されました。平成24年度から取り組んできた清河八郎の書簡を纏めた町史資料の編集も、5年目で第五号の発刊となります。
本号は安政4(1857)年4月29日付、八郎28歳、父宛書簡から同6年秋までの2年4カ月までの45通を載せています。
その一部を紹介します。
安政4(1857)年10月江戸・八郎より父宛
【大意】
アメリカ船は昨年7月伊豆下田に来航、将軍家に謁見、国王の書状を差し出す爲、江戸城への登城を願い出て許された。
諸大名、国主方には不同意の人も多く、特に水戸老公等不同意だが結局幕府の執政に一任となった。
一行は江戸表に着き、外交官ハリス等は21日江戸城に登城し国王の書状を差し出した。江戸城では厚くもてなし、食事の献立は33品と聞いた。国王の書状の内容は不明だが無事終わる。
我が国の国情から見て、各国使節との交渉等の対応について、幕府においては混乱が生じ、苦慮することが予想される。また、外国との生活習慣の相違等も知らせ、やがて外国との戦争が生じ、国内騒乱となることを憂うる書簡である。
最初に【大意】を記載し、三段構成にしています。一段目が原本写真、二段目が原文翻刻、三段目に読み下し分を載せています。
一冊1,000円(税込み)
お問い合わせ、ご購入は「清河八郎記念館」又は庄内町教育委員会 社会教育課・文化スポーツ推進係(0234-56-3312)までお願いします。
本号は安政4(1857)年4月29日付、八郎28歳、父宛書簡から同6年秋までの2年4カ月までの45通を載せています。
安政4(1857)年10月江戸・八郎より父宛
【大意】
アメリカ船は昨年7月伊豆下田に来航、将軍家に謁見、国王の書状を差し出す爲、江戸城への登城を願い出て許された。
諸大名、国主方には不同意の人も多く、特に水戸老公等不同意だが結局幕府の執政に一任となった。
一行は江戸表に着き、外交官ハリス等は21日江戸城に登城し国王の書状を差し出した。江戸城では厚くもてなし、食事の献立は33品と聞いた。国王の書状の内容は不明だが無事終わる。
我が国の国情から見て、各国使節との交渉等の対応について、幕府においては混乱が生じ、苦慮することが予想される。また、外国との生活習慣の相違等も知らせ、やがて外国との戦争が生じ、国内騒乱となることを憂うる書簡である。
最初に【大意】を記載し、三段構成にしています。一段目が原本写真、二段目が原文翻刻、三段目に読み下し分を載せています。
一冊1,000円(税込み)
お問い合わせ、ご購入は「清河八郎記念館」又は庄内町教育委員会 社会教育課・文化スポーツ推進係(0234-56-3312)までお願いします。
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