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11.26.09:26

藤沢周平氏の『回天の門』

kaiten.jpg「たそがれ清衛兵」「蝉しぐれ」「隠し剣 鬼の爪」等、近年になって鶴岡市出身の藤沢周平氏の作品がピックアップされ、映画化等で話題を呼んでいることは皆様ご周知のとおりと思います。
 藤沢氏は『回天の門』という小説で清河八郎の激動の生涯を余すところなく執筆されております。司馬遼太郎氏の「幕末-奇妙なり八郎-」「燃えよ剣」や、柴田錬三郎さんの「清河八郎」も同じように清河八郎のことを描いていますが、藤沢氏の八郎観は視点が大きく異なります。

 「回天の門」執筆までの経緯は、初代清河八郎記念館(庄内町清川)館長の故成沢米三氏が藤沢氏の恩師に当たり、成沢氏に小説化を願われたためと言われています。成沢氏本人も「清河八郎」という著書があり、「回天の門」のベースとなっています。

 一般的に清河八郎は「策士」というヒールなイメージがありますが、実際は八郎という人物の真意が何なのか?非常に難しいとされ歴史的な評価は定まっていないとううのが本当のところです。
 尊皇攘夷の志が強く、「虎尾の会」を結成するなど倒幕の中心でありながら幕臣の山岡鉄舟、松岡 万らと親密な関係にあり親しく交わり、一見幕吏とのつながりを見せつつも、幕府の許しを受け将軍の護衛と称し「浪士組」を結成するも上京後倒幕攘夷の軍隊へと回天画策をするなど、その表面上の動きだけを取ると理解し難い点が多々あります。そこに八郎のヒール的要素と受け取られやすい誤解が生じているのかもしれません。しかし、藤沢氏の「回天の門」は、そんな八郎の姿を、実に人間臭く、葛藤の道のりを歩む人間として描くことに成功しています。庄内という風土と人を知る藤沢氏であったからこそなのかもしれません。
 
藤沢ブームに乗り「回天の門」映画化!を願いつつ・・・・^^

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