07.12.21:40
平成30年度企画展「戊辰の役清川口の戦い」開催中
今年は明治元(1868)年から数えて150年の記念すべき年に当たります。当館のある庄内町清川は、庄内藩が明治新政府の東北討伐に抗戦し、領内への進撃を阻止した戦い「清川口の戦い」があった場所です。日本が明治と言う新時代を迎える歴史の中で、当地で行われた戦いが果たした意義を考える機会にして頂ければ幸いです。
「清川口の戦い」がどのようにして始まり、どの様に戦ったのか、その戦況の一部始終を清河八郎の父齋藤治兵衛が事細かく書き残しているのでその一端を紹介します。
『慶応4年4月24日明六ッ時、腹巻岩の山上より官軍来るとひしめき、村中太鼓を打ちて駆回る。
・・・中略・・・官軍腹巻岩の山にて合図に白黒の旗を振ると砲発に及び、夫より味方も鉄砲を打放して双方より打ち合いになりぬ。
・・・中略・・・狩川村の百姓大勢、狩川村の方より猿ケ馬場へ上り、鯨波の勢いを掲げて敵に向かい襲い来る。是を見て敵兵肝をつぶし山を逃れ、不動堂の処より山を降りて川上の方より川をこぎて渡る者あり、水に溺れて死する者もありとぞ。是により味方英気を増し敵兵を散々に打ち散らす。』
往時を物語る鉄砲や火薬等、歴史を知ることが出来る貴重な品を展示していますので是非ご来館下さい。
「清川口の戦い」がどのようにして始まり、どの様に戦ったのか、その戦況の一部始終を清河八郎の父齋藤治兵衛が事細かく書き残しているのでその一端を紹介します。
『慶応4年4月24日明六ッ時、腹巻岩の山上より官軍来るとひしめき、村中太鼓を打ちて駆回る。
・・・中略・・・官軍腹巻岩の山にて合図に白黒の旗を振ると砲発に及び、夫より味方も鉄砲を打放して双方より打ち合いになりぬ。
・・・中略・・・狩川村の百姓大勢、狩川村の方より猿ケ馬場へ上り、鯨波の勢いを掲げて敵に向かい襲い来る。是を見て敵兵肝をつぶし山を逃れ、不動堂の処より山を降りて川上の方より川をこぎて渡る者あり、水に溺れて死する者もありとぞ。是により味方英気を増し敵兵を散々に打ち散らす。』
往時を物語る鉄砲や火薬等、歴史を知ることが出来る貴重な品を展示していますので是非ご来館下さい。
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確か庄内藩士も新撰組で
活躍していましたよね
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