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08.25.12:58

「赤心報国回天倡始」の尊皇攘夷

emoji 令和6年度清河八郎記念館特別企画展開催中
 今年度は、故郷清川の父母に送った手紙を紐解き、八郎自らが記した生の心情を紹介しながら真の人物像に迫る特別企画展です。
令和6年12月1日(日)まで。















 中でも、八郎が幕府の陰謀により「無礼切りの殺人犯」に仕立てられながらも、尊皇攘夷の決起を促す九州遊説に奔走する際、懐中にしのばせた軍旗、「赤心報国回天倡始(国を想う純真な心で、政の大転換を成し遂げる先鋒にならん)」の意。(長さ2.2m幅36cm)の実物は必見です。ご来館の上本物の迫力を是非肌で感じてください。


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07.28.18:26

佐高信特別公演

  清河八郎顕彰会主催による、山形県酒田市出身、佐高信氏を講師に招いた特別講演会を、7月15日(月・祝)、庄内町余目「庄内町文化創造館・響ホール」で開催しました。演題は「清河八郎の真実に迫る・明治維新と清河八郎」です。
▼ 当日聴講者へ配布した講演会次第です。



 この講演会は、月山を取り巻く5市町村(庄内町、鶴岡市、戸沢村、大蔵村、西川町)が構成メンバーになっている、
月山フォーラムが所管する「月山わくわく活性化事業」の採択を受けて開催したものです。
 事前の申し込み人数は283人、当日会場の受付窓口で記帳頂いた方が45人、合計で328人になっています。それに来賓の皆さん、スタッフの皆さん、合わせて約350人の方に聴講頂きました。
▼ 講演会が始まる前に庄内町が作成した「明治維新に火をつけた男」のDVDが上映されました。



 このDVDは清河八郎について分かり易く解説しております。是非ご覧ください。(上映時間11分47秒)       
                 
          「明治維新に火をつけた男」YouTube
▼ 講演会の総合司会は、庄内町大河ドラマ誘致協議会事務局長・庄内町社会教育課長佐藤直樹が務めました。


▼ 最初に講演会実行委員会委員長、公益財団法人清河八郎記念館理事長田沢伸一の挨拶です。


■ 挨拶概要
 清河八郎は1830年に生まれ、1863年に暗殺されている。僅か34歳の人生だった。特に活動家として目覚めたのが1860年の桜田門外の変だと言われ、それから3年の活動で、明治維新に向けた大きな運動の立役者として今でも色んな説が出ています。
 また清河八郎記念館には、八郎が書いた手紙や日記。更には幕末の志士との連絡時に出した手紙とか、まだ半分以上が解読されていない。今、大学の先生お二人や地元の研究者の方にお願いして解読に努めている。
 博物館法の改正があり、博物館は単に展示、公開するだけでなく、地元の観光振興にも寄与することが義務付けられた。その意味で、そうした資料を通してできれば大河ドラマ誘致の環境醸成にも繋げていきたい。
 講演依頼をした際に、一発でOKしてくださった佐高先生に感謝し、今日は佐高節をお聞きしながら清河八郎の話に期待したい。

▼ 次に講師紹介を清川地区振興協議会事務局長小倉慶久が行いました。


■ 紹介概要
 先生は1945年酒田市に生まれ、酒田東高等学校、慶応義塾大学法学部法律学科を卒業され、卒業後、庄内農業高校の社会科の先生、その他庄内地区の高校で教鞭をとっております。東京に出て経済紙の編集長になり、1982年に評論家として独立しておられます。現在は評論活動と併せて、東北公益文科大学の客員教授を努められ活躍されております。
 併せて今回の参加申し込みの時は、庄内農業高校の卒業生の方が、恩師の講演だから是非参加したいと言う声が多く寄せられていたことを報告しておきます。
▼佐高信氏講演
演題「清河八郎の真実に迫る!明治維新と清河八郎」



 講演内容の概略の概略を記していきますが、最初に聴講された皆さんへ当日資料として配布した、佐高先生直筆によるレジュメをご覧ください。


 講演の構成内容を示したもので、次のⅠからⅤまでに大別されていました。
Ⅰ 西郷隆盛と清河八郎
Ⅱ 司馬遼太郎と藤沢周平の対照的八郎観
Ⅲ 「明治維新とは」?・王政復古
Ⅳ 「不耕貧食の徒(ふこうどんじきのと)」(安藤昌益)
  年貢半減令と相楽総三
Ⅴ 清河八郎の可能性
  大川周明、石原莞爾と比較して
アンケートでも「レジュメを示して頂きありがとうございました。」と述べられた方もおりました。
 それでは、講演内容についてお知らせします。(講演時間約70分)
■ 前段
 講演の依頼があった時に、清河八郎のことを凄く良く知っっているから引き受けたのではない。むしろ皆さんの中によく知っている人が居ると思う。只、清河八郎を明治維新の中でどういう風に位置づけたらいいのかと言うことは、話せるるかもしれないと思い引き受けた。
 今日は庄内農高の教え子も来ているということだが、率直に言って故郷で喋ると言うのは容易でないものがる。(会場:パラパラと拍手)‥‥今の拍手はどういう意味かよく分からないですが、(会場:あちこちで笑い)‥‥藤沢周平さんが故郷は辛い土地でもあると言っている。それは、若さに紛れて人を傷つけた記憶が蘇るからだと。
故郷は辛い土地、自分も80歳を目前にしてちょっとそんな感じを強くしている。


Ⅰ 西郷隆盛と清河八郎
 
清河八郎を明治維新の中でどういう風に位置づけたらいいのかと言う時に、私は西郷隆盛と比較したらある種浮かび上がると考えた。
 西郷隆盛と清河八郎は同時代を生きた人で、清河八郎は西郷隆盛の3歳年下であった。
 でも、西郷隆盛を知らない人はいないが、清河八郎を知らない人はいると思う。それは何故か。
 西郷隆盛は藩士、下級藩士ではあるが藩士だった。清河八郎は酒井藩に仕えた訳ではない。郷士と言う武士と百姓の間、坂本龍馬もそうだったが、清河八郎は「郷士には身分と言う天井が無い。」と幼い時に言っている。いろんな動きが藩士より比較的楽で自由だった。その反面、組織をどういう風に動かすかと言うことに余り長けてはいなかった。故に、西郷隆盛とは組織の動かし方が違っていた。
 それから、何と言っても西郷隆盛は明治維新を起こした薩長、薩摩の出身で、清河八郎は、賊軍とされた庄内藩の出身だったと言うのが、名前の差と言うものに影響しているのではないかと考えている。
 勝てば官軍と言いますが、庄内では逆に官軍とは言わないで官賊と言う。あっちの方が賊軍ではないかと思っている感がある。
 また西郷隆盛は、いわゆる薩長史観に基づいて語られてきた。明治維新を起こした側、歴史の勝者であり、また西南戦争で敗れたことによって歴史の敗者でもあった。この二つの側面が、大きな人気の側面でもあった。
 清河八郎は、歴史的な勝敗と言うものにちょっと関係がない。その前にして殺されてしまったと言うことになる。
 歴史が正しいか、正史と言うものは大体勝者が書く。薩摩、長州と言うものが明治維新を成し遂げたと言うことになっているので、賊軍と言う側の歴史は消されていくのです。
 歴史の正史の中に清河八郎を押し立てていく場合には、勝者が書く歴史が正しいのではないと言う異議申立ての中に、それぞれの歴史観の変換を迫らなければならない困難さがある。


Ⅱ 司馬遼太郎と藤沢周平の対照的八郎観
 司馬遼太郎は清河八郎のことを山師とか出世主義者とか書いている。何故そんな表現が出て来るかと言うと、さっきの薩長の立場に立つ歴史観か、奥羽越列藩同盟、つまり賊軍とされた荘内藩の立場に立つかの違いがある。
 司馬遼太郎は、薩長史観にたっており、倒幕を起こすと言いながら、天皇の名を利用して動き回った男として「奇妙なり八郎」と言う短編を書いた。
 その山師と言う表現に憤激して藤沢さんは「回天の門」と言う長編を書いたと後書きで言っている。藤沢周平さんは自分のことを、”厄介おじ”と言っている。”厄介おじ”とは、長男でない次男、三男の男のことで、家督を継げないと言うことで厄介者とされていいた。 
 清河八郎は長男だが、歴史と言うものは武士が動かすと言うことに対し、清河八郎はその武士と言うものから自由だった。その自由は保証されない自由だったから、その厄介おじの立場から考えて、藤沢さんは共感して行ったのだろうと思う。
 清河八郎が凄く親しくしていた人物に山岡鐵太郎(山岡鉄舟)がいる。彼が清河八郎についてこう書いている「彼は、百年に一人の英雄だと、ただ惜しいことに背景を持たぬ。我々には大公儀と言う背景がある。薩摩、長州の志士たちも藩の背景がある。そこへ行くと、あの男はたった一人だ。一人で天下の大事を成さんとすれば、あちらを騙し、こちらを騙し、とにかく芸が細かくなる。今少しあの男が英雄らしくなるまで生かしておいたらどうだろう。」
 その背景を持たないと言うことがどういう事なのか、背景に拘った司馬遼太郎には見えなかったし、清河八郎のある種のアジテーターとしての魅力とか、あるいは、文だけでなく武にも優れていた。また妻「お蓮」と言うある種の悲運の女性を愛すると言う細やかなところが、背景と言うものを抜きにして人物評価を行ってきた藤沢周平さんには見えていたんだろうと私は思う。


 これから清河八郎の明治維新への役割、行動の原点に触れる講演に続きますが、それは次回の報告とさせて頂きます。暫しお待ち願います。
Ⅲ 明治維新とは(王政復古)
Ⅳ 「不耕貪食の徒(ふこうどんじきのと)」安藤昌益
Ⅴ 清河八郎の可能性・大川周明、石原莞爾と比較して 

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06.22.16:52

「佐高信」氏特別講演会を新聞紙上で紹介してもらいました。

​​​​​▼山形新聞


令和6年6月18日



▼荘内日報


令和6年6月18日



酒田市出身の評論家「佐高信」氏が庄内町にやって来ます。
■​​​​演題は「清河八郎の真実に迫る」
■期日は7月15日(月・祝)
会場は庄内町余目「響ホール」
 住所:庄内町余目字仲谷地280
 電話:0234-45-1433
■時間は​午後2時開会です。
入場料は無料です
※事前申し込みが必要です。
■定員は​先着順で300名です。(定員になり次第締め切ります。お早めに申し込みください。)
​​​申し込みは公益財団法人清河八郎記念館
 ​​〒​999-6606​ 山形県東田川郡庄内町清川字上川原37​​
 0234-57-2104(FAX兼用ですが、休舘日の月曜日及び開館中の午前10時から午後5時以外は、呼び出し電話に切り替わりますので受信できません。)
                ▼記念館mail
 又は清川まちづくりセンター
 〒999-6606 山形県東田川郡庄内町清川字花崎1-2​​​

 ​​0234-57-2211・FAX0234-57-2212
            ▼清川まちづくりセンターmail
​​​​

いずれのメールもファイル添付はしないでください。件名を「佐高信講演会希望」とし、次の確認事項を直接本文に打ち込んでください。
申し込み時に確認する事項
①氏名[漢字表記しませんので呼び方だけ(カタカナでも、ひらがなでも可)お願いします。]
②住所(山形県の方は市町村名を、県外の方は都道府県名と市町村名をお願いします。)
③連絡先(日中通話可能な電話番号をお願いします。)

講師紹介
                ▼佐高信氏

                 掲載許可済み
山形県酒田市出身。

 1945年1月、酒田市に生まれ山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、県内の高校教師を務めたのち上京、経済誌編集長を経て評論活動に入る。

 メディアへの出演も多く、社会を鋭く捉えた評論で知られている。東北公益文科大学客員教授。

 ​動乱の幕末において明治維新に火をつけた男、清河八郎が何を思い、何をなさんとしたのか、その真実に迫ります。​

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06.11.20:53

「佐高信」氏を迎え講演会を開催します。

■​​​​演題は「清河八郎の真実に迫る」
■期日は7月15日(月・祝)
会場は庄内町余目「響ホール」
 住所:庄内町余目字仲谷地280
 電話:0234-45-1433
■時間は
午後2時開会です。
入場料は無料です
※事前申し込みが必要です。
■定員は
​先着順で300名です。(定員になり次第締め切ります。お早めに申し込みください。)
​​​申し込みは公益財団法人清河八郎記念館
 0234-57-2104(FAX兼用ですが、休舘日の月曜日及び開館中の午前10時から午後5時以外は、呼び出し電話に切り替わりますので受信できません。
               
                ▼記念館mail
 又は清川まちづくりセンター​​​

 ​0234-57-2211・FAX0234-57-2212
            
            ▼清川まちづくりセンターmail

いずれのメールもファイル添付はしないでください。「佐高信講演会希望」のタイトル表記をし、次の確認事項を直接本文に打ち込んでください。
申し込み時に確認する事項
①氏名[漢字表記しませんので呼び方だけ(カタカナでも、ひらがなでも可)お願いします。]
②住所(山形県の方は市町村名を、県外の方は都道府県名と市町村名をお願いします。)
③連絡先(日中通話可能な電話番号をお願いします。)


講師紹介
                ▼佐高信氏

                 掲載許可済み
山形県酒田市出身。

 1945年1月、酒田市に生まれ山形県立酒田東高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業し、県内の高校教師を務めたのち上京、経済誌編集長を経て評論活動に入る。

 メディアへの出演も多く、社会を鋭く捉えた評論で知られている。東北公益文科大学客員教授。

 ​動乱の幕末において明治維新に火をつけた男、清河八郎が何を思い、何をなさんとしたのか、その真実に迫ります。​
 

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06.11.11:38

清河神社例大祭・直会

emoji神事が終了すると、崇敬者皆さんの情報交換、意見交換の場である直会に入りました。神事へは57名でしたが、直会には35名の皆さんから参列して頂きました。

▼直会席次表

直会次第
一 進行・開会 清河神社責任役員・公益財団法人清河八郎記念館館長 廣田幸記
二 祝  辞 山形県議会議員・公益財団法人清河八郎記念館理事長 田澤伸一様 
        庄内町長 富樫 透様
三 スピーチ  清河八郎母方生家三井家子孫 三井洋一郎樣
四 祝電披露  
清河神社責任役員・公益財団法人清河八郎記念館館長 廣田幸記
五 乾  杯  新釈清河八郎伝著者・清河八郎生家親族 加藤 淳様
六 祝  宴
七 万歳三唱  清川地区自治会長会会長 渋谷俊雄樣
八 閉  会

▼祝辞 山形県議会議員・公益財団法人清河八郎記念館理事長 田澤伸一様
 ■ 祝辞概要
 「最近、蛍の飼育に興味があり蛍を育てているが、蛍の一生は華々しいと感じている。清河八郎の一生もまた桜田門外の変に刺激を受け、回天倡始へと突き進んだ。正しく蛍の光のごとく燃えたのではと思う。
 亡くなった歴史研究家のあさくらゆうさんは、八郎の攘夷は不平等の開国を迫られたからであり、平等であったら開国派だったと話していた。
 八郎の史料は解読されていなものが
数多くあるので、解読が進むと新しい道しるべになってくれると思っている。」


▼祝辞 庄内町長 富樫 透様   
 ■ 祝辞概要
 「清河八郎大河ドラマ誘致協議会の発案で、清河八郎関連グッズのガチャを色んな所に置いている。記念館にも置いているようだが子供達に好評の様だ。先日東京の日野市を訪れ八郎の軌跡に改めて触れてきた。またJICAを訪問した際には八郎生家の子孫である「齋藤わか奈」さんのおじさんという人に出会って話をした。今年は講演会[7月15日(月・祝)に酒田市出身・評論家佐高信氏/9月16日(月・祝)に東洋大学文学部教授岩下哲典氏]もある様なので、色々な視点から八郎について語ってもらい新しい発見をしてもらうのが大事と思う。」

 
▼スピーチ 八郎母方生家三井家子孫 三井洋一郎樣
 ■ スピーチ概要
 「三井家は元々伊豆ますざかの出身で三代目で繁盛し財を成した。自分は分家になるが家族で八郎について語ることは無かった。しかし最近自分の家系について興味を持ち調べると、八郎の母は自分の本家から嫁いでいるし、
八郎の妹が自分の家系の三代目に嫁に来ていることを知った。それを確認するため、金華山歓喜寺住職の柳川さんの処や、鶴岡市の人別帳も確認した。そしたら確かに八郎の母亀代の名前があり、三井家と清川の齋藤家が関係あることを知った。
 
 東京九段の近くにある資料館で、清河八郎の無礼切りは時の幕府の策略であったとの展示がされたことがある。八郎は無実の罪で逃亡生活をおくり、妻お蓮や弟熊三郎も牢獄に入れられている。

 今、清河八郎大河ドラマへの道みたいなことをしてもらっているが、東京あたりで清河八郎という人物は私の先祖だよと言っても、吉田松陰とか、坂本龍馬、高杉晋作とかの名前は出て来るが、それに比べるとブランド力が無い。

 一つのアイデアとして私自身が考えることは、NHK BSの「英雄たちの選択」とか、年末にある時代劇3時間ものとか、そうした特別な番組へ取り上げてもらってから大河へ結び付けてもらったらと思っている。

 それから、庄内地方でもネームバリューを上げるために、八郎の母「亀代」さんは里帰り出産であり、鶴岡で八郎を生んでいる。鶴岡に「清河八郎生誕の地」の看板を掲げるのも良いのではないのか。鶴岡の酒井さんと会った時に、荘内藩と八郎さんとの関係もあるでしょうが、そうしたことはどうかと尋ねたら、今はそんな拘りはないと話していたので、藤沢周平さんの看板は色々ある様だが、鶴岡に八郎さんの看板を掲げ、幕末の志士として活躍した人物であると宣伝してもらったらどうかと思っている。」


▼ 乾杯 新釈清河八郎伝著者 加藤 淳様
 ■ 「乾杯の発声をする前にちょっとお話をさせてください。」と前置きし、次の概要で自身が執筆した書籍を示しながら話しがありました。
 ■ 概要
  「週刊日本刀第21号」(出版社:デアゴスティーニ・ジャパン)を手にしながら、「記念館に展示されていたものですが、この本の中に「清河八郎刀剣人物伝」が載っている。これは私が書いた記事でそれを紹介する。
 八郎さんは現代であればコレクターであった。書画や刀等、それに図画も集めている。江戸で買い求めたものを庄内で売っている。江戸より庄内の方が高く売れたようだ。八郎さんは父親からかなり援助してもらっていて、申し訳ない気持ちがあったのではと思う。父親への恩返しでもあったようだ。

 これとは別に86号では三島由紀夫を書いた。三島由紀夫は「関孫六」で、切腹した時に介錯した刀である。何故私が書けたのかというと、三島に切腹の仕方を教えた人に取材してそれを書いた。こっちの方が面白いのだが今日はやめる。」と前段話して乾杯に入った。



▼ 祝電披露
 ■ 内閣府特命担当大臣衆議院議員 加藤鮎子様


 ■参議院議員 舟山康江様


 ■参議院議員 芳賀道也様


▼ 万歳三唱
 ■直会の最後は万歳三唱です。音頭を取るのは清川地区自治会長会会長渋谷俊雄樣



 以上で令和6年清河神社例大祭の全日程の終了です。神事への参列者は令和3年には34名、令和4年は46名、昨年、令和5年は47名でしたが、今年は57名とコロナ禍前である令和元年と同数の皆様から参拝頂きました。これも皆様の御理解の賜物であり主催者一同深く感謝申し上げます。
 富樫庄内町長の祝辞でも触れていましたが、今年は清河八郎に関し二人の講師をお招きして講演会を開催します。

7月15日(月・祝)に酒田市出身・評論家 佐高 信氏

                 掲載許可済み
演題:「清河八郎の真実に迫る」 
会場:庄内町余目「響ホール」

9月16日(月・祝)に東洋大学文学部教授  岩下哲典氏

                 掲載許可済み
演題:「幕末三舟の一人、高橋泥舟と清川・庄内」(仮題)
会場:庄内町余目「響ホール」

※ 著名な先生方から清河八郎について語ってもらいます。期日と会場は決定ですが、その他の詳細は決まり次第本ブログ等でお知らせします。皆様も聴講に是非お出でください。清河八郎顕彰会役員一同、会場でお待ちしております。
 









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