03.02.18:41
清河八郎顕彰会ホームページ公開です。
これまで清河八郎顕彰会ではブログによる情報発信を行って来ましたが、関連する多くのサイトを相互にリンクさせるホームページを開設しました。
是非ご覧ください。
https://soyoaze.wixsite.com/hachiro
是非ご覧ください。
https://soyoaze.wixsite.com/hachiro
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01.20.15:26
清河八郎顕彰会会員募集
令和4年度清河八郎顕彰会会員募集のお知らせです。
本会は、国情騒然たる幕末期に「回天倡始」をいち早く唱え、時代を魁た歴史的偉傑であり明治維新の幕を開けた男、郷里が生んだ清河八郎公の行動力と信念を顕彰し、後世に伝えていくことを目的に、平成21年3月に発足しました。
本会の活動は、主催事業として「歩いて楽しむ回天の道と清川歴史の旅」、「文武体験子ども塾」、それに「清河八郎剣道錬成会」を毎年実施していますが、昨年と一昨年は新型コロナ感染拡大防止を図るため、やむなく中止した事業もあります。
その他、清河八郎公の偉業を伝えていく核となる「清河八郎記念館」の運営への協力や、文武両道の神として清河八郎公を祀る「清河神社」例大祭の斎行に協力しています。
また昨年(令和3年)取り組んだ「清河神社大鳥居修復事業」では、清川地区振興協議会や清川地区自治会長会それに清河神社役員会と一体になり、風化が激しかった大鳥居を建立当時の風格ある姿に蘇らせる事業の中心的役割を果たしました。
本会の会計は、次の決算書のとおり主な収入は会員皆様からお寄せ頂いた会費になります。令和2年度月山フォーラム「月山わくわく活性化事業」は単年度事業で、清川関所敷地への回天の道案内看板や、回天の道の危険個所解消事業、八郎が江戸に出奔した際の書置きや日記文を紹介した看板設置等を行いました。
令和3年12月31日現在の本会会員数
皆さんも是非本会の活動を支援する一人に加わって下さい。活動に賛同して頂ける方は次の連絡先にご一報頂ければ幸いです。
① 清河八郎記念館【mail:spcp4yb9@pearl.ocn.ne.jp】】
(但し、12月1日~2月末日は休舘ですのでその際は②にお願いします。)
② 清河八郎顕彰会事務局【mail:komasa@jan.ne.jp】
注意:件名は「会員申し込み」としてください。
またどちらへのメールもファイル添付(安全の為削除する場合があります。)はお断りしております。本文にお名前、連絡先をベタ打ちでお願いします。
会費は一口1,000円からになります。上限はありません。
■正会員1,000円~
■賛助会員5,000円~
■特別会員10,000円~
■篤志会員(多額の金品を寄附し功労のある方)
※ ご連絡頂きますと、入金に必要な振替用紙(手数料は本会負担)をお送りしますし、後日、全員に会員証、また賛助会員以上の方には記念品をお贈りいたします。
09.15.15:57
「新・歴の里清川」スライド公開です。
歴史の里清川を紹介するスライド、「歴史の里清川」の第二弾、「新・歴史の里清川」を公開しました。⇒https://www.youtube.com/watch?v=2Fa9TUlDIo4&t=47s 前作は、平成31年4月に竣工した庄内藩清川関所「川口番所」と「船見番所」が公開される前に作製したもので、清川に新設された広域観光の拠点施設が紹介されていませんでした。今回、エンディングのシーンに二つの施設を加え、新たにチャレンジする清川の姿を紹介しています。
スライドで紹介している歴史資産は全部で9箇所です。
最初に紹介している箇所の位置を「歴史の里マップ」を使って案内しています。
一番目は清河八郎記念館
清河八郎記念館は、八郎の没後百年記念事業の一つとして、昭和37年に建設されました・・・・・・。
二番目は清河神社
清河神社は明治41年正四位を贈られたのを機に、大正12年の清川戸主会において神社建立を決議し・・・・・・・・。
三番目は北楯大堰
北楯大堰は慶長6年西暦1601年に狩川城主となった北館大学が・・・・・・・・。
四番目は金華山歓喜寺
金華山歓喜寺は曹洞宗のお寺で、天正7年、西暦1579年に・・・・。
五番目は御諸皇子神社
御諸皇子神社参道の入り口に一対の仁王像があります。一般的に神社の守り神は狛犬で、お寺の守り神が仁王像ですが・・・・・・。
六番目は清河八郎生家跡
八郎の生家齋藤家は古くから清川に住んでおり、多くの田畑や山林を持ち、また酒造業を営む裕福な家でした・・・・・・。
七番目は松尾芭蕉上陸の地と清川関所跡
庄内、最上の境であり、最上川舟運の要所であった清川には、庄内藩の関所が設けられていました・・・・・・・・・。
八番目は御殿林
時は慶応4年、西暦1868年4月24日、鳥羽伏見の戦いが東北の地にも移り、戊辰戦争清川口の戦いがあった場所なのです・・・・・。
九番目は戊辰戦争官軍墓碑
官軍が退いた後に残された長州藩士二名の戦死者を、清川の人たちは敵と言えども暖かく弔い・・・・・・。
そして最後に平成31年4月に竣工した荘内藩清川関所「川口番所」と「船見番所」を紹介しています。清川歴史公園のHPはこちら⇒https://kiyokawa-historicalpark.navishonai.jp/
18分17秒の時間ですが、数多い歴史資産を要約しながら紹介しておりますので最後までご覧ください。
スライドで紹介している歴史資産は全部で9箇所です。
最初に紹介している箇所の位置を「歴史の里マップ」を使って案内しています。
一番目は清河八郎記念館
清河八郎記念館は、八郎の没後百年記念事業の一つとして、昭和37年に建設されました・・・・・・。
二番目は清河神社
清河神社は明治41年正四位を贈られたのを機に、大正12年の清川戸主会において神社建立を決議し・・・・・・・・。
三番目は北楯大堰
北楯大堰は慶長6年西暦1601年に狩川城主となった北館大学が・・・・・・・・。
四番目は金華山歓喜寺
金華山歓喜寺は曹洞宗のお寺で、天正7年、西暦1579年に・・・・。
五番目は御諸皇子神社
御諸皇子神社参道の入り口に一対の仁王像があります。一般的に神社の守り神は狛犬で、お寺の守り神が仁王像ですが・・・・・・。
六番目は清河八郎生家跡
八郎の生家齋藤家は古くから清川に住んでおり、多くの田畑や山林を持ち、また酒造業を営む裕福な家でした・・・・・・。
七番目は松尾芭蕉上陸の地と清川関所跡
庄内、最上の境であり、最上川舟運の要所であった清川には、庄内藩の関所が設けられていました・・・・・・・・・。
八番目は御殿林
時は慶応4年、西暦1868年4月24日、鳥羽伏見の戦いが東北の地にも移り、戊辰戦争清川口の戦いがあった場所なのです・・・・・。
九番目は戊辰戦争官軍墓碑
官軍が退いた後に残された長州藩士二名の戦死者を、清川の人たちは敵と言えども暖かく弔い・・・・・・。
そして最後に平成31年4月に竣工した荘内藩清川関所「川口番所」と「船見番所」を紹介しています。清川歴史公園のHPはこちら⇒https://kiyokawa-historicalpark.navishonai.jp/
18分17秒の時間ですが、数多い歴史資産を要約しながら紹介しておりますので最後までご覧ください。
03.15.09:55
「歴史の里清川」スライドショー
「歴史の里清川」を紹介するスライドを作成しました。何ぶんにも素人編集ですので大目に見てください。時間は18分40秒です。もっと短くしたかったのですが、紹介する場所が多くてこうなりました。
https://www.youtube.com/watch?v=FwGuLdPvzoE
https://www.youtube.com/watch?v=FwGuLdPvzoE
07.11.20:11
「回天の道」に説明板を寄贈して頂きました。
■ 国際ロータリ―第2800地区立川ロータリ―クラブから「回天の道」の説明板を二枚贈呈して頂きました。
これは、国際ロータリークラブの基本理念の一つである社会奉仕活動の一環で、日頃からボランティア活動を通して地域の活性化と交流人口の拡大に寄与している、清河八郎顕彰会の活動が評価され、その支援の目的で寄贈になったものです。
説明板は樹脂製で横60cm、縦40cmの二枚で、一枚目には、清河八郎が数え年弱冠十八歳で何故江戸に向かったのか、二枚目には何故「回天の道」と命名したのかが書かれています。
皆さんも是非一度回天の道に足を運びご覧頂きたいと思います。
▼ 贈呈式の様子
向かって左から、正木尚文 清河八郎顕彰会会長、矢島重治 立川ロータリ―クラブ会長、遠藤仁 立川ロータリ―クラブ社会奉仕小委員会委員長
▼ 設置した場所は此処です。
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