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07.08.10:22

第92回清河八郎顕彰剣道演武大会

emoji和7年7月5日(土)に、清川体育館(旧清川小学校・中学校体育館)を会場に、第92回清河八郎顕彰剣道演武大会を開催しました。
 かつては庄内地区全域から小、中、高男女の「清河八郎奉納剣道大会」として多くの参加者を得ていましたが、廃校となった校舎解体により控室が確保できなくなり、平成25(2013)年を最後に已む無く休止となっていました。
 しかし県内でも数少ない長期開催の伝統ある剣道大会を懐かしむ声と、清川の地に根付いた剣道への灯を消す訳にはいかないとの声を受け、立川剣友会の声掛けに、田川地区剣道連盟が応えて頂き、代わって平成28(2016)年に剣道練成会を、令和5(2023)年には演武大会と名称変更して、清河八郎が北辰一刀流玄武館で学んだ剣の志を現代に伝えようと開催しています。
▼参加して頂いたのは、庄内各地区において日頃から剣道の指導にあたっておられる全日本剣道連盟教士、錬士の称号を持つ33名の先生方で開会式の前に全員で準備運動の稽古風景です。



▼ 開会の挨拶:公益財団法人清河八郎記念館理事長田澤伸一代理、公益財団法人清河八郎記念館館長廣田幸記
【挨拶概要】
 理事長の田澤に代わっての挨拶であると述べた後、何故清河八郎が剣術を身に付けようとしたかのエピソードを次のように話してくれました。
 「八郎が江戸に居た21歳の時に京都や長崎へ勉学に出かけ、オランダ商館やオランダ船を見分した帰りに盗賊に襲われ荷物を奪われてしまう。それを取り戻してくれたのが九州大分県中津藩の人物だった。このことで八郎は自分の身は自分で守る必要性を肝に銘じ玄武官に通うようになったということを日記に書いている。そして初目録、中目録を短期間で習得している。
 この大会は演武大会となっているが、大変歴史がある大会で皆さんの参加に感謝して開会の挨拶とする。」


▼ 大会長挨拶:清河八郎顕彰会会長齋藤満
【挨拶概要】
「最初に田川地区剣道連盟の皆さんには顕彰会事業にいつもご理解とご協力を頂き感謝する。
 この大会も演武大会と名称が変ってはいますが92回目となり、このように長く続いている大会は珍しいと思う。地元紙によると昭和62(1987)年に56回目ということで紹介され、また県内屈指の大会であるとも紹介されている。第1回目が昭和8年、1933年で、この年に清河神社が創建されそれを記念しての大会であったと思う。
 庄内町や庄内町観光協会、それに清河八郎先生関係の団体が協力し合って、NHK大河ドラマ誘致活動を展開している。どうか剣道連盟の皆さんからも一層のお力を貸していただければと思う。」


▼ 来賓祝辞:庄内町長富樫透様
【祝辞概要】
 「92回になる顕彰剣道演武大会に庄内各地から大勢の皆さんに参加して頂きありがとうございます。冒頭会長の挨拶にもあったが、2030年に向けて清河八郎を大河ドラマの言うことで町を挙げて頑張っているし、特に子供たちに文武両道と言うことを伝えていきたい。
 昨年は酒田市出身の佐高信先生から講演をして頂いた。その中で庄内人のDNAという話があって、庄内人の気質は不条理を正すことにあるのではと言うことを話されていた。そういう意味で、明治維新の魁となった清河八郎さんの足跡は非常に偉大だと言うことをこれからも伝えていきたい。」


▼ 祝辞:田川地区剣道連盟会長原敏様
【祝辞概要】
 「92回と言う長い歴史を持つ大会は県内は元より日本中でも大変珍しいと思う。それは清河八郎先生の遺徳を長く継承すること、その地域の思いがあったからだと思う。また今日参加の先生方には小学校時代に此処の大会に参加された、そんな思いをされている方も居るのではないか。清河八郎先生の志を学び残していかなければならないと思う。この大会の運営にあたっている顕彰会、記念館、それに立川剣友会の皆様に感謝する。」


▼ 審判長説示:田川地区剣道連盟顧問阿蘇孝生
【説示概要】
 例年この方式がとられ安定してきました。奉納演武大会でありまして試合時間は2分で審判ではなく立会人が一人、その方の「始め」で始まり「それまで」で終わります。
 試合ではないですが、立ち合いでは日本審判規則に則って行います。2分の間で何本取っても構いません。
 目の前に飾ってあります八郎先生への奉納演武でありますので、素晴らしい演武をお願いする。


▼ 日本剣道形奉納
打太刀:池田好斉四段
仕太刀:海野大善四段
​一本目:  左上段 対  右上段 (面抜き面)








二本目:  正眼  対  正眼  (籠手抜き籠手)



三本目:  下段  対  下段  (突き返し突き)




七本目: 正眼 対 正眼 (抜き胴)

​​





一本目: 左上段 対 小太刀




二本目: 下段 対 小太刀




▼ 演武













▼ 閉会式
  審判長講評:阿蘇孝生審判長
 今日は暑い中大変ご苦労様でした。そしてフェアーな剣道を見せて頂きありがとうございました。反則もなく怪我もなかったことは何よりだった。4・5年前からこの方式を清川ルールとしてこのような奉納のやり方にしている。次回8月31日には同じ方式で羽黒山での奉納試合になる。そちらにも是非参加頂きたい。今日は本当にいい剣道を見せて頂き感謝する。


▼ 閉会の挨拶
 立川剣友会会長:鶴巻隆
 皆さん今日は大変ご苦労様でした。これで全日程を終了させて頂きます。ありがとうございました。


7月5日(土)は最高気温が29.1度(狩川観測所)の中、面を付け激しいぶつかり合いをするのは本当に大変な運動で、黙っていても汗がにじみ出る湿度の中、参加された皆さんは全身で暑さを感じていたことと思います。しかしながら、​​
審判長が講評で述べた通り、怪我や体調を壊す方がいなかったのは何よりで、これも日頃から剣道で鍛えた精神と体があってこその演武大会だったと思います。
 文武両道の精神を伝承していく本大会を支えて頂いた立川剣友会をはじめ、田川地区剣道連盟の皆さんに心から感謝申し上げます。
▼ 記念の集合写真です。




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03.02.18:41

清河八郎顕彰会ホームページ公開です。

これまで清河八郎顕彰会ではブログによる情報発信を行って来ましたが、関連する多くのサイトを相互にリンクさせるホームページを開設しました。
是非ご覧ください。

https://soyoaze.wixsite.com/hachiro

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01.20.15:26

清河八郎顕彰会会員募集

​令和4年度清河八郎顕彰会会員募集のお知らせです。​

emoji  本会は、国情騒然たる幕末期に「回天倡始」をいち早く唱え、時代を魁た歴史的偉傑であり明治維新の幕を開けた男、郷里が生んだ清河八郎公の行動力と信念を顕彰し、後世に伝えていくことを目的に、​平成21年3月に発足しました。


emoji 本会の活動は、主催事業として「​歩いて楽しむ回天の道と清川歴史の旅​」、「​文武体験子ども塾​」、それに「​清河八郎剣道錬成会​」を毎年実施していますが、昨年と一昨年は新型コロナ感染拡大防止を図るため、やむなく中止した事業もあります。
 その他、清河八郎公の偉業を伝えていく核となる「​清河八郎記念館​」の運営への協力や、文武両道の神として清河八郎公を祀る「​清河神社​」例大祭の斎行に協力しています。
 また昨年(令和3年)取り組んだ「​清河神社大鳥居修復事業​」では、清川地区振興協議会や清川地区自治会長会それに清河神社役員会と一体になり、風化が激しかった大鳥居を建立当時の風格ある姿に蘇らせる事業の中心的役割を果たしました。

emoji 本会の会計は、次の決算書のとおり主な収入は会員皆様からお寄せ頂いた会費になります。令和2年度月山フォーラム「月山わくわく活性化事業」は単年度事業で、清川関所敷地への回天の道案内看板や、回天の道の危険個所解消事業、八郎が江戸に出奔した際の書置きや日記文を紹介した看板設置等を行いました。



emoji 令和3年12月31日現在の本会会員数





emoji 皆さんも是非本会の活動を支援する一人に加わって下さい。活動に賛同して頂ける方は次の連絡先にご一報頂ければ幸いです。

​​​​①​ 清河八郎記念館【mail:​​​​spcp4yb9@pearl.ocn.ne.jp】​​​​​】
​​(但し、12月1日~2月末日は休舘ですのでその際は②にお願いします。)

② ​清河八郎顕彰会事務局【mail:​komasa@jan.ne.jp​】
注意:件名は「会員申し込み」としてください。
   またどちらへのメールもファイル添付
​​
(安全の為削除する場合があります。)はお断りしております。本文にお名前、連絡先をベタ打ちでお願いします。

 会費は一口1,000円からになります。上限はありません。
 ■正会員1,000円~
 ■賛助会員5,000円~
 ■特別会員10,000円~
 ■篤志会員(多額の金品を寄附し功労のある方)
​​
※ ご連絡頂きますと、入金に必要な振替用紙(手数料は本会負担)をお送りしますし、後日、全員に会員証、また賛助会員以上の方には記念品をお贈りいたします。

​​

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09.15.15:57

「新・歴の里清川」スライド公開です。

歴史の里清川を紹介する​​スライド、「歴史の里清川」の第二弾、「新・歴史の里清川」を公開しました。⇒​​​​​​https://www.youtube.com/watch?v=2Fa9TUlDIo4&t=47s​ 前作は、平成31年4月に竣工した庄内藩清川関所「川口番所」と「船見番所」が公開される前に作製したもので、清川に新設された広域観光の拠点施設が紹介されていませんでした。今回、エンディングのシーンに二つの施設を加え、​新たにチャレンジする清川の姿を紹介しています。

​スライドで紹介している歴史資産は全部で9箇所です。


最初に紹介している箇所の位置を「歴史の里マップ」を使って案内しています。


一番目は清河八郎記念館
​清河八郎記念館は、八郎の没後百年記念事業の一つとして、昭和37年に建設されました・・・・・・。​


二番目は清河神社
清河神社は明治41年正四位を贈られたのを機に、大正12年の清川戸主会において神社建立を決議し・・・・・・・・。


()()()()

三番目は北楯大堰
北楯大堰は慶長6年西暦1601年に狩川城主となった北館大学が・・・・・・・・。


四番目は金華山歓喜寺
金華山歓喜寺は曹洞宗のお寺で、天正7年、西暦1579年に・・・・。


五番目は御諸皇子神社
御諸皇子神社参道の入り口に一対の仁王像があります。一般的に神社の守り神は狛犬で、お寺の守り神が仁王像ですが・・・・・・。


六番目は清河八郎生家跡
八郎の生家齋藤家は古くから清川に住んでおり、多くの田畑や山林を持ち、また酒造業を営む裕福な家でした・・・・・・。


七番目は松尾芭蕉上陸の地と清川関所跡
庄内、最上の境であり、最上川舟運の要所であった清川には、庄内藩の関所が設けられていました・・・・・・・・・。


八番目は御殿林
時は慶応4年、西暦1868年4月24日、鳥羽伏見の戦いが東北の地にも移り、戊辰戦争清川口の戦いがあった場所なのです・・・・・。


九番目は戊辰戦争官軍墓碑
官軍が退いた後に残された長州藩士二名の戦死者を、清川の人たちは敵と言えども暖かく弔い・・・・・・。


そして最後に平成31年4月に竣工した荘内藩清川関所「川口番所」と「船見番所」を紹介しています。清川歴史公園のHPはこちら⇒​https://kiyokawa-historicalpark.navishonai.jp/



18分17秒の時間ですが、数多い歴史資産を要約しながら紹介しておりますので最後までご覧ください。

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03.15.09:55

「歴史の里清川」スライドショー

「歴史の里清川」を紹介するスライドを作成しました。何ぶんにも素人編集ですので大目に見てください。時間は18分40秒です。もっと短くしたかったのですが、紹介する場所が多くてこうなりました。
​​https://www.youtube.com/watch?v=FwGuLdPvzoE


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