06.11.11:38
清河神社例大祭・直会
神事が終了すると、崇敬者皆さんの情報交換、意見交換の場である直会に入りました。神事へは57名でしたが、直会には35名の皆さんから参列して頂きました。
▼直会席次表
直会次第
一 進行・開会 清河神社責任役員・公益財団法人清河八郎記念館館長 廣田幸記
二 祝 辞 山形県議会議員・公益財団法人清河八郎記念館理事長 田澤伸一様
庄内町長 富樫 透様
三 スピーチ 清河八郎母方生家三井家子孫 三井洋一郎樣
四 祝電披露 清河神社責任役員・公益財団法人清河八郎記念館館長 廣田幸記
五 乾 杯 新釈清河八郎伝著者・清河八郎生家親族 加藤 淳様
六 祝 宴
七 万歳三唱 清川地区自治会長会会長 渋谷俊雄樣
八 閉 会
▼祝辞 山形県議会議員・公益財団法人清河八郎記念館理事長 田澤伸一様
■ 祝辞概要
「最近、蛍の飼育に興味があり蛍を育てているが、蛍の一生は華々しいと感じている。清河八郎の一生もまた桜田門外の変に刺激を受け、回天倡始へと突き進んだ。正しく蛍の光のごとく燃えたのではと思う。
亡くなった歴史研究家のあさくらゆうさんは、八郎の攘夷は不平等の開国を迫られたからであり、平等であったら開国派だったと話していた。
八郎の史料は解読されていなものが数多くあるので、解読が進むと新しい道しるべになってくれると思っている。」
▼祝辞 庄内町長 富樫 透様
■ 祝辞概要
「清河八郎大河ドラマ誘致協議会の発案で、清河八郎関連グッズのガチャを色んな所に置いている。記念館にも置いているようだが子供達に好評の様だ。先日東京の日野市を訪れ八郎の軌跡に改めて触れてきた。またJICAを訪問した際には八郎生家の子孫である「齋藤わか奈」さんのおじさんという人に出会って話をした。今年は講演会[7月15日(月・祝)に酒田市出身・評論家佐高信氏/9月16日(月・祝)に東洋大学文学部教授岩下哲典氏]もある様なので、色々な視点から八郎について語ってもらい新しい発見をしてもらうのが大事と思う。」
▼スピーチ 八郎母方生家三井家子孫 三井洋一郎樣
■ スピーチ概要
「三井家は元々伊豆ますざかの出身で三代目で繁盛し財を成した。自分は分家になるが家族で八郎について語ることは無かった。しかし最近自分の家系について興味を持ち調べると、八郎の母は自分の本家から嫁いでいるし、八郎の妹が自分の家系の三代目に嫁に来ていることを知った。それを確認するため、金華山歓喜寺住職の柳川さんの処や、鶴岡市の人別帳も確認した。そしたら確かに八郎の母亀代の名前があり、三井家と清川の齋藤家が関係あることを知った。
東京九段の近くにある資料館で、清河八郎の無礼切りは時の幕府の策略であったとの展示がされたことがある。八郎は無実の罪で逃亡生活をおくり、妻お蓮や弟熊三郎も牢獄に入れられている。
今、清河八郎大河ドラマへの道みたいなことをしてもらっているが、東京あたりで清河八郎という人物は私の先祖だよと言っても、吉田松陰とか、坂本龍馬、高杉晋作とかの名前は出て来るが、それに比べるとブランド力が無い。
一つのアイデアとして私自身が考えることは、NHK BSの「英雄たちの選択」とか、年末にある時代劇3時間ものとか、そうした特別な番組へ取り上げてもらってから大河へ結び付けてもらったらと思っている。
それから、庄内地方でもネームバリューを上げるために、八郎の母「亀代」さんは里帰り出産であり、鶴岡で八郎を生んでいる。鶴岡に「清河八郎生誕の地」の看板を掲げるのも良いのではないのか。鶴岡の酒井さんと会った時に、荘内藩と八郎さんとの関係もあるでしょうが、そうしたことはどうかと尋ねたら、今はそんな拘りはないと話していたので、藤沢周平さんの看板は色々ある様だが、鶴岡に八郎さんの看板を掲げ、幕末の志士として活躍した人物であると宣伝してもらったらどうかと思っている。」
▼ 乾杯 新釈清河八郎伝著者 加藤 淳様
■ 「乾杯の発声をする前にちょっとお話をさせてください。」と前置きし、次の概要で自身が執筆した書籍を示しながら話しがありました。
■ 概要
「週刊日本刀第21号」(出版社:デアゴスティーニ・ジャパン)を手にしながら、「記念館に展示されていたものですが、この本の中に「清河八郎刀剣人物伝」が載っている。これは私が書いた記事でそれを紹介する。
八郎さんは現代であればコレクターであった。書画や刀等、それに図画も集めている。江戸で買い求めたものを庄内で売っている。江戸より庄内の方が高く売れたようだ。八郎さんは父親からかなり援助してもらっていて、申し訳ない気持ちがあったのではと思う。父親への恩返しでもあったようだ。
これとは別に86号では三島由紀夫を書いた。三島由紀夫は「関孫六」で、切腹した時に介錯した刀である。何故私が書けたのかというと、三島に切腹の仕方を教えた人に取材してそれを書いた。こっちの方が面白いのだが今日はやめる。」と前段話して乾杯に入った。
▼ 祝電披露
■ 内閣府特命担当大臣衆議院議員 加藤鮎子様
■参議院議員 舟山康江様
■参議院議員 芳賀道也様
▼ 万歳三唱
■直会の最後は万歳三唱です。音頭を取るのは清川地区自治会長会会長渋谷俊雄樣
以上で令和6年清河神社例大祭の全日程の終了です。神事への参列者は令和3年には34名、令和4年は46名、昨年、令和5年は47名でしたが、今年は57名とコロナ禍前である令和元年と同数の皆様から参拝頂きました。これも皆様の御理解の賜物であり主催者一同深く感謝申し上げます。
富樫庄内町長の祝辞でも触れていましたが、今年は清河八郎に関し二人の講師をお招きして講演会を開催します。
7月15日(月・祝)に酒田市出身・評論家 佐高 信氏
掲載許可済み
演題:「清河八郎の真実に迫る」
会場:庄内町余目「響ホール」
9月16日(月・祝)に東洋大学文学部教授 岩下哲典氏
掲載許可済み
演題:「幕末三舟の一人、高橋泥舟と清川・庄内」(仮題)
会場:庄内町余目「響ホール」
※ 著名な先生方から清河八郎について語ってもらいます。期日と会場は決定ですが、その他の詳細は決まり次第本ブログ等でお知らせします。皆様も聴講に是非お出でください。清河八郎顕彰会役員一同、会場でお待ちしております。
▼直会席次表
直会次第
一 進行・開会 清河神社責任役員・公益財団法人清河八郎記念館館長 廣田幸記
二 祝 辞 山形県議会議員・公益財団法人清河八郎記念館理事長 田澤伸一様
庄内町長 富樫 透様
三 スピーチ 清河八郎母方生家三井家子孫 三井洋一郎樣
四 祝電披露 清河神社責任役員・公益財団法人清河八郎記念館館長 廣田幸記
五 乾 杯 新釈清河八郎伝著者・清河八郎生家親族 加藤 淳様
六 祝 宴
七 万歳三唱 清川地区自治会長会会長 渋谷俊雄樣
八 閉 会
▼祝辞 山形県議会議員・公益財団法人清河八郎記念館理事長 田澤伸一様
■ 祝辞概要
「最近、蛍の飼育に興味があり蛍を育てているが、蛍の一生は華々しいと感じている。清河八郎の一生もまた桜田門外の変に刺激を受け、回天倡始へと突き進んだ。正しく蛍の光のごとく燃えたのではと思う。
亡くなった歴史研究家のあさくらゆうさんは、八郎の攘夷は不平等の開国を迫られたからであり、平等であったら開国派だったと話していた。
八郎の史料は解読されていなものが数多くあるので、解読が進むと新しい道しるべになってくれると思っている。」
▼祝辞 庄内町長 富樫 透様
■ 祝辞概要
「清河八郎大河ドラマ誘致協議会の発案で、清河八郎関連グッズのガチャを色んな所に置いている。記念館にも置いているようだが子供達に好評の様だ。先日東京の日野市を訪れ八郎の軌跡に改めて触れてきた。またJICAを訪問した際には八郎生家の子孫である「齋藤わか奈」さんのおじさんという人に出会って話をした。今年は講演会[7月15日(月・祝)に酒田市出身・評論家佐高信氏/9月16日(月・祝)に東洋大学文学部教授岩下哲典氏]もある様なので、色々な視点から八郎について語ってもらい新しい発見をしてもらうのが大事と思う。」
▼スピーチ 八郎母方生家三井家子孫 三井洋一郎樣
■ スピーチ概要
「三井家は元々伊豆ますざかの出身で三代目で繁盛し財を成した。自分は分家になるが家族で八郎について語ることは無かった。しかし最近自分の家系について興味を持ち調べると、八郎の母は自分の本家から嫁いでいるし、八郎の妹が自分の家系の三代目に嫁に来ていることを知った。それを確認するため、金華山歓喜寺住職の柳川さんの処や、鶴岡市の人別帳も確認した。そしたら確かに八郎の母亀代の名前があり、三井家と清川の齋藤家が関係あることを知った。
東京九段の近くにある資料館で、清河八郎の無礼切りは時の幕府の策略であったとの展示がされたことがある。八郎は無実の罪で逃亡生活をおくり、妻お蓮や弟熊三郎も牢獄に入れられている。
今、清河八郎大河ドラマへの道みたいなことをしてもらっているが、東京あたりで清河八郎という人物は私の先祖だよと言っても、吉田松陰とか、坂本龍馬、高杉晋作とかの名前は出て来るが、それに比べるとブランド力が無い。
一つのアイデアとして私自身が考えることは、NHK BSの「英雄たちの選択」とか、年末にある時代劇3時間ものとか、そうした特別な番組へ取り上げてもらってから大河へ結び付けてもらったらと思っている。
それから、庄内地方でもネームバリューを上げるために、八郎の母「亀代」さんは里帰り出産であり、鶴岡で八郎を生んでいる。鶴岡に「清河八郎生誕の地」の看板を掲げるのも良いのではないのか。鶴岡の酒井さんと会った時に、荘内藩と八郎さんとの関係もあるでしょうが、そうしたことはどうかと尋ねたら、今はそんな拘りはないと話していたので、藤沢周平さんの看板は色々ある様だが、鶴岡に八郎さんの看板を掲げ、幕末の志士として活躍した人物であると宣伝してもらったらどうかと思っている。」
▼ 乾杯 新釈清河八郎伝著者 加藤 淳様
■ 「乾杯の発声をする前にちょっとお話をさせてください。」と前置きし、次の概要で自身が執筆した書籍を示しながら話しがありました。
■ 概要
「週刊日本刀第21号」(出版社:デアゴスティーニ・ジャパン)を手にしながら、「記念館に展示されていたものですが、この本の中に「清河八郎刀剣人物伝」が載っている。これは私が書いた記事でそれを紹介する。
八郎さんは現代であればコレクターであった。書画や刀等、それに図画も集めている。江戸で買い求めたものを庄内で売っている。江戸より庄内の方が高く売れたようだ。八郎さんは父親からかなり援助してもらっていて、申し訳ない気持ちがあったのではと思う。父親への恩返しでもあったようだ。
これとは別に86号では三島由紀夫を書いた。三島由紀夫は「関孫六」で、切腹した時に介錯した刀である。何故私が書けたのかというと、三島に切腹の仕方を教えた人に取材してそれを書いた。こっちの方が面白いのだが今日はやめる。」と前段話して乾杯に入った。
▼ 祝電披露
■ 内閣府特命担当大臣衆議院議員 加藤鮎子様
■参議院議員 舟山康江様
■参議院議員 芳賀道也様
▼ 万歳三唱
■直会の最後は万歳三唱です。音頭を取るのは清川地区自治会長会会長渋谷俊雄樣
以上で令和6年清河神社例大祭の全日程の終了です。神事への参列者は令和3年には34名、令和4年は46名、昨年、令和5年は47名でしたが、今年は57名とコロナ禍前である令和元年と同数の皆様から参拝頂きました。これも皆様の御理解の賜物であり主催者一同深く感謝申し上げます。
富樫庄内町長の祝辞でも触れていましたが、今年は清河八郎に関し二人の講師をお招きして講演会を開催します。
7月15日(月・祝)に酒田市出身・評論家 佐高 信氏
掲載許可済み
演題:「清河八郎の真実に迫る」
会場:庄内町余目「響ホール」
9月16日(月・祝)に東洋大学文学部教授 岩下哲典氏
掲載許可済み
演題:「幕末三舟の一人、高橋泥舟と清川・庄内」(仮題)
会場:庄内町余目「響ホール」
※ 著名な先生方から清河八郎について語ってもらいます。期日と会場は決定ですが、その他の詳細は決まり次第本ブログ等でお知らせします。皆様も聴講に是非お出でください。清河八郎顕彰会役員一同、会場でお待ちしております。
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06.03.08:14
令和6年清河神社例大祭
清河八郎は、文久3(1863)年旧暦4月13日(現5月30日)に、江戸麻布赤羽橋で幕府の刺客の手に掛かり亡くなっています。その祥月命日である5月30日(木)令和6年清河神社例大祭を斎行しました。
前日に拝殿内の大掃除と国旗の掲示等、準備をしている時は小雨がぱらついていましたので、明日は晴れてくれることを八郎公に願ったのが見事に叶えられ、当日は五月晴れの青空が広がってくれました。
▼例大祭を祝福するかのように見事に晴れてくれました。
▼♬ドンドコトコトコ・ドンドコトコトコ♬ 神事の始まりを告げる打鼓の軽快なリズムが拝殿に響き渡ります。
▼最初に修祓の儀により大麻で穢れを払います。
▼ご神体を迎え入れる降神の儀、「オ~~ォ、オ~~ォ」と警蹕の声を神職が発します。
▼斎主祝詞奏上
▼次は日本九重流詩吟学会庄内支部会員による奉吟です。最初に総伝八段範師土門登洲氏により、八郎が亡き妻お蓮を偲んで読んだ和歌、(さくら花「さくらばな たといちるとも ますらおの そでににおいを とどめざらめや」)等を吟じました。
▼土門氏の次に庄内支部長総伝八段範師相馬角洲氏に、日本九重流三代宗家作の「祭神清河八郎に捧ぐ」等を吟じて頂きました。
▼奉吟が終わると玉串奉奠です。(敬称を省略しております。)
奉奠者は、神社責任役員代表渡邊和能、山形県議会議員、公益財団法人清河八郎記念館理事長田澤伸一、庄内町長富樫透、庄内町議会議長石川保、衆議院議員内閣府特命担当大臣加藤鮎子・代理秘書金丸秀明、参議院議員芳賀道也・代理秘書関井美喜男、
新釈清河八郎伝著者加藤淳、株式会社荘内日報社代表取締役社長橋本政之、十和建設株式会社庄内町支店支店長後藤竹也、八郎母亀代生家鶴岡市三井家子孫三井洋一郎、最上峡芭蕉ライン観光株式会社代表取締役社長鈴木富士雄・代理企画販売次長南條裕司、大川周明顕彰会・大川周明子孫大川賢明、公益財団法人荘内南洲会理事長小野寺良信、湯の沢温泉地蔵の湯小野由夫、有限会社社寺工房上野代表取締役上野健二、日本郵便株式会社清川郵便局長佐藤徹也、最後に清川地区自治会長会会長渋谷俊雄の12名の方から拝礼して頂きました。
▼打鼓が行われ神事の最後を告げます。
▼神事が終わると斎主である正木尚文宮司から次のように挨拶がありました。
「私たちが小さかった頃は、清河神社とは呼ばないで八郎様、八郎様と呼んでいた。境内は子供たちの遊び場であり心の拠り所でもあった。最近は人口の急激な減少があり、多人数家族ではなく一人、二人の世帯が多くなってしまった。そんな中で5月26日には清川地区の環境保全活動が行われ、約50名の皆さんがこの神社周辺や御殿林、関所、官軍墓碑、それに御諸皇子神社周辺を綺麗にしてもらった。大変ありがたく思っている。また先日「からふる幼稚園」園児が清川散策を行っていた。子供たちの声が清川で聞こえたし、余目中学校の生徒20名が記念館に訪れていた。子供たちに地元を知ってもらうことは大変大事だと思っている。」と話していました。
これで神事が終了し直会に入るのですが、直会の部は後日掲載しますので暫らくお待ちください。
前日に拝殿内の大掃除と国旗の掲示等、準備をしている時は小雨がぱらついていましたので、明日は晴れてくれることを八郎公に願ったのが見事に叶えられ、当日は五月晴れの青空が広がってくれました。
▼例大祭を祝福するかのように見事に晴れてくれました。
▼♬ドンドコトコトコ・ドンドコトコトコ♬ 神事の始まりを告げる打鼓の軽快なリズムが拝殿に響き渡ります。
▼最初に修祓の儀により大麻で穢れを払います。
▼ご神体を迎え入れる降神の儀、「オ~~ォ、オ~~ォ」と警蹕の声を神職が発します。
▼斎主祝詞奏上
▼次は日本九重流詩吟学会庄内支部会員による奉吟です。最初に総伝八段範師土門登洲氏により、八郎が亡き妻お蓮を偲んで読んだ和歌、(さくら花「さくらばな たといちるとも ますらおの そでににおいを とどめざらめや」)等を吟じました。
▼土門氏の次に庄内支部長総伝八段範師相馬角洲氏に、日本九重流三代宗家作の「祭神清河八郎に捧ぐ」等を吟じて頂きました。
▼奉吟が終わると玉串奉奠です。(敬称を省略しております。)
奉奠者は、神社責任役員代表渡邊和能、山形県議会議員、公益財団法人清河八郎記念館理事長田澤伸一、庄内町長富樫透、庄内町議会議長石川保、衆議院議員内閣府特命担当大臣加藤鮎子・代理秘書金丸秀明、参議院議員芳賀道也・代理秘書関井美喜男、
新釈清河八郎伝著者加藤淳、株式会社荘内日報社代表取締役社長橋本政之、十和建設株式会社庄内町支店支店長後藤竹也、八郎母亀代生家鶴岡市三井家子孫三井洋一郎、最上峡芭蕉ライン観光株式会社代表取締役社長鈴木富士雄・代理企画販売次長南條裕司、大川周明顕彰会・大川周明子孫大川賢明、公益財団法人荘内南洲会理事長小野寺良信、湯の沢温泉地蔵の湯小野由夫、有限会社社寺工房上野代表取締役上野健二、日本郵便株式会社清川郵便局長佐藤徹也、最後に清川地区自治会長会会長渋谷俊雄の12名の方から拝礼して頂きました。
▼打鼓が行われ神事の最後を告げます。
▼神事が終わると斎主である正木尚文宮司から次のように挨拶がありました。
「私たちが小さかった頃は、清河神社とは呼ばないで八郎様、八郎様と呼んでいた。境内は子供たちの遊び場であり心の拠り所でもあった。最近は人口の急激な減少があり、多人数家族ではなく一人、二人の世帯が多くなってしまった。そんな中で5月26日には清川地区の環境保全活動が行われ、約50名の皆さんがこの神社周辺や御殿林、関所、官軍墓碑、それに御諸皇子神社周辺を綺麗にしてもらった。大変ありがたく思っている。また先日「からふる幼稚園」園児が清川散策を行っていた。子供たちの声が清川で聞こえたし、余目中学校の生徒20名が記念館に訪れていた。子供たちに地元を知ってもらうことは大変大事だと思っている。」と話していました。
これで神事が終了し直会に入るのですが、直会の部は後日掲載しますので暫らくお待ちください。
04.14.17:21
「お蓮の梅」満開です。!
2017(平成29)年5月30日に植樹した「お蓮の梅」が今冬の大雪に耐え、見事に花を咲かせました。
「お蓮の梅」は東京のNPO法人「元気・まちネット」代表矢口正武氏の提唱により、八郎の妻お蓮の生家からお蓮が幼少の頃眺めていた梅の実生木を譲り受け、八郎を祀る神社に植栽することで寄り添いあう夫婦愛を現代に蘇らせようとしたものです。
「お蓮の梅」は白梅で、春のうららかな日差しに、まるで白無垢の花嫁衣裳のごとく眩しく輝いています。また神社創建当時から育っている椿の赤と鮮やかなコントラストを楽しむことが出来ます。皆さん是非お参りください。
「お蓮の梅」は東京のNPO法人「元気・まちネット」代表矢口正武氏の提唱により、八郎の妻お蓮の生家からお蓮が幼少の頃眺めていた梅の実生木を譲り受け、八郎を祀る神社に植栽することで寄り添いあう夫婦愛を現代に蘇らせようとしたものです。
「お蓮の梅」は白梅で、春のうららかな日差しに、まるで白無垢の花嫁衣裳のごとく眩しく輝いています。また神社創建当時から育っている椿の赤と鮮やかなコントラストを楽しむことが出来ます。皆さん是非お参りください。
09.24.15:01
大鳥居竣工式典挙行
9月4日の本ブログで鳥居の修復工事が完成したことをお知らせしましたが、9月22日(大安)に「竣工式」並びに「くぐり初め(くぐりぞめ)」の儀式を挙行しました。
▼ 正木宮司から修祓を受ける参列者の皆さん
参列者は、齋藤満清河神社大鳥居修復委員会委員長外14名の委員の皆さんと、施工者である菅睦建設株式会社庄内支店細矢義弘支店長の16名です。
▼ 鳥居のお祓いをした後、正木宮司に続いて「くぐり初め」を行いました。
正木宮司に続いて、齋藤満修復員会委員長、菅睦建設株式会社庄内支店細矢義弘支店長、渡邊和能清河神社責任役員代表が玉串奉奠を行いました。
▼ 齋藤満修復員会委員長
▼ 細矢義弘菅睦建設株式会社庄内支店長
▼ 渡邊和能清河神社責任役員代表
▼ 一緒に拝礼する参加者の皆さん
▼ 正木宮司祝詞奏上
昭和37年鳥居が建立された経緯や、多くの浄財を寄せて頂いた事への感謝、文武両道の神を祭る神社に相応しく格調高い仕上がりと新技術により、以前より耐久性が保たれたことへの期待感を祭神である清河八郎公に語り掛けておりました。
▼ 施工会社への感謝状贈呈
正木宮司から、施工会社である菅睦建設株式会社庄内支店細矢義弘支店長へ感謝状が贈られました。
▼ 挨拶する正木宮司
昭和37年建立した当時の5人の地元出身篤志家へのお礼と、今回全国から浄財を寄せて貰ったことへの感謝の言葉があり、初代は60年余りで修復に至ったが、今回は新技術もありさらに長持ちしてもらいたいと挨拶がありました。
▼ 挨拶する齋藤満委員長
以前から修復の必要性を話題にしていた矢先、昨秋に来客者から危険との指摘を受け何とかしなければと思っていた。しかし清河神社は氏子組織が無い崇敬神社で、そんなことから参列された皆さんに修復委員会の委員を引き受けて頂いた事への感謝を述べ、さらに、これを機会に益々「歴史の里清川」への来客者が増え賑やかになることを期待したいと挨拶がありました。
▼ 式典終了後に記念写真の撮影です。
▼ 9月23日付山形新聞15面に掲載して頂きました。
▼9月24日付け「荘内日報」に掲載して頂きました。
御奉賛賜りました全国の皆様へ
今回の式典終了後に規約の定めにより修復委員会解散総会を予定しています。それが終わりますと本事業に御奉賛賜りました皆様へ礼状と記念品をお贈りする予定になっておりますので、今暫くお待ち願います。
▼ 正木宮司から修祓を受ける参列者の皆さん
参列者は、齋藤満清河神社大鳥居修復委員会委員長外14名の委員の皆さんと、施工者である菅睦建設株式会社庄内支店細矢義弘支店長の16名です。
▼ 鳥居のお祓いをした後、正木宮司に続いて「くぐり初め」を行いました。
正木宮司に続いて、齋藤満修復員会委員長、菅睦建設株式会社庄内支店細矢義弘支店長、渡邊和能清河神社責任役員代表が玉串奉奠を行いました。
▼ 齋藤満修復員会委員長
▼ 細矢義弘菅睦建設株式会社庄内支店長
▼ 渡邊和能清河神社責任役員代表
▼ 一緒に拝礼する参加者の皆さん
▼ 正木宮司祝詞奏上
昭和37年鳥居が建立された経緯や、多くの浄財を寄せて頂いた事への感謝、文武両道の神を祭る神社に相応しく格調高い仕上がりと新技術により、以前より耐久性が保たれたことへの期待感を祭神である清河八郎公に語り掛けておりました。
▼ 施工会社への感謝状贈呈
正木宮司から、施工会社である菅睦建設株式会社庄内支店細矢義弘支店長へ感謝状が贈られました。
▼ 挨拶する正木宮司
昭和37年建立した当時の5人の地元出身篤志家へのお礼と、今回全国から浄財を寄せて貰ったことへの感謝の言葉があり、初代は60年余りで修復に至ったが、今回は新技術もありさらに長持ちしてもらいたいと挨拶がありました。
▼ 挨拶する齋藤満委員長
以前から修復の必要性を話題にしていた矢先、昨秋に来客者から危険との指摘を受け何とかしなければと思っていた。しかし清河神社は氏子組織が無い崇敬神社で、そんなことから参列された皆さんに修復委員会の委員を引き受けて頂いた事への感謝を述べ、さらに、これを機会に益々「歴史の里清川」への来客者が増え賑やかになることを期待したいと挨拶がありました。
▼ 式典終了後に記念写真の撮影です。
▼ 9月23日付山形新聞15面に掲載して頂きました。
▼9月24日付け「荘内日報」に掲載して頂きました。
御奉賛賜りました全国の皆様へ
今回の式典終了後に規約の定めにより修復委員会解散総会を予定しています。それが終わりますと本事業に御奉賛賜りました皆様へ礼状と記念品をお贈りする予定になっておりますので、今暫くお待ち願います。
09.04.08:58
鳥居が修復されました
全国の皆様から温かい御奉賛を賜り、竣工名板の取り付けを除き鳥居の修復が完成いたしました。昭和37年に建立された鳥居でしたが、長年の風雪により剥離が顕著になり、参拝者への直接被害も懸念されておりました。神社会計だけでは対応しきれない多額な工事費を捻出するために当ブログや、全国の八郎支援者の皆様に直接呼びかけたところ、目標額150万円を超える185万円の御奉賛を賜りました。誠にありがたく皆様の八郎に寄せる志をこれからの活動の支えにしていきたいと思っております。
御奉賛賜りました皆様には、後日御礼の手紙と記念品をお送りさせて頂きますので今暫くお待ち願います。まずは、石目調吹付工法により威厳ある鳥居が蘇ったことをここに報告させて頂きます。
着工前
完成
御奉賛賜りました皆様には、後日御礼の手紙と記念品をお送りさせて頂きますので今暫くお待ち願います。まずは、石目調吹付工法により威厳ある鳥居が蘇ったことをここに報告させて頂きます。
着工前
完成