07.22.17:20
令和4年特別企画展—―――齋藤治兵衛家と庄内藩
荘内藩酒井家入部四百年記念企画展
「清河八郎生家清川村の齋藤治兵衛家と庄内藩」を開催します。
今年は、酒井家第3代当主酒井忠勝公が、藩主として庄内に入部してから400年の節目の年にあたります。
そこで、今年の特別企画展は、清河八郎生家の菩提寺である金華山歓喜寺が所蔵している古文書、齋藤治兵衛が書き記した「御用米御用金兼御才覚金控 新庄様江御用達候分控 齋藤治兵衛豪壽」の記述から、齋藤家が財政に窮していた庄内藩に多大なる貢献をしていたことを取り上げてみました。
▼「御用米御用金兼御才覚金控 新庄様江御用達候分控 齋藤治兵衛豪壽」(八郎生家齋藤家菩提寺「金華山歓喜寺」所蔵)
▼ 「一金百両 嘉永2(1849)年1月」
▼「一金 三拾三両 嘉永元(1848)年12月」
▼「一金 五百両 安政6(1859)年10月」
ここに掲載した記述はほんの一部です。藩主が参勤交代で江戸に行く、あるいは大凶作の年に藩への献上金等々、一覧表にして展示しております。皆様新型コロナ感染防止対策を徹底し是非ご来館下ください。
記念館裏の「御殿林」にヤマユリが咲き始めています。チップ材を敷き詰め、歩くことが楽しくなる散策路が整備されています。記念館見学の後は、森林浴を兼ね、戊辰戦争清川口古戦場跡でもあるこの小径を散歩してみては如何でしょうか。
「清河八郎生家清川村の齋藤治兵衛家と庄内藩」を開催します。
今年は、酒井家第3代当主酒井忠勝公が、藩主として庄内に入部してから400年の節目の年にあたります。
そこで、今年の特別企画展は、清河八郎生家の菩提寺である金華山歓喜寺が所蔵している古文書、齋藤治兵衛が書き記した「御用米御用金兼御才覚金控 新庄様江御用達候分控 齋藤治兵衛豪壽」の記述から、齋藤家が財政に窮していた庄内藩に多大なる貢献をしていたことを取り上げてみました。
▼「御用米御用金兼御才覚金控 新庄様江御用達候分控 齋藤治兵衛豪壽」(八郎生家齋藤家菩提寺「金華山歓喜寺」所蔵)
▼ 「一金百両 嘉永2(1849)年1月」
▼「一金 三拾三両 嘉永元(1848)年12月」
▼「一金 五百両 安政6(1859)年10月」
ここに掲載した記述はほんの一部です。藩主が参勤交代で江戸に行く、あるいは大凶作の年に藩への献上金等々、一覧表にして展示しております。皆様新型コロナ感染防止対策を徹底し是非ご来館下ください。
記念館裏の「御殿林」にヤマユリが咲き始めています。チップ材を敷き詰め、歩くことが楽しくなる散策路が整備されています。記念館見学の後は、森林浴を兼ね、戊辰戦争清川口古戦場跡でもあるこの小径を散歩してみては如何でしょうか。
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04.13.08:03
本日放映です。YTS/TV「ビビる大木もびっくり・発掘!やまがたの1番」
本日午後7時、清河八郎記念館廣田館長が、YTS・TV「ビビる大木もびっくり・発掘!山形の一番」の中で、明治維新に果たした八郎の行動力について語っています。山形限定です。県外の方ごめんなさい。
▼ 向かって右から「のだこころ」さん、「ビビる大木」さん、「廣田幸記館長」、「熊谷瞳」さん。
▼ 向かって右から「のだこころ」さん、「ビビる大木」さん、「廣田幸記館長」、「熊谷瞳」さん。
03.30.10:08
TV放映されます!
■番組名
YTS山形テレビ「ビビる大木もびっくり!発掘 山形の一番」
■放映予定日時
令和4年4月13日(水)19時から(1時間)
番組は、ラーメン王国山形から始まり、玉こんにゃく、プリン、特盛天婦羅の蕎麦を紹介し、芸能界で一番幕末に詳しいと自負する(YTSHPから抜粋)「ビビる大木」さんと女優「のだこころ」さん、それにアナウンサーの「熊谷瞳」さんが記念館を訪ね、取材してくれたものが放映されます。
廣田館長は、現在展示されている「潜中記事」展を解説し、明治維新に果たした八郎の役割を語っています。皆さん是非ご覧下さい。
▼向かって右から、「のだこころ」さん、「ビビる大木」さん、廣田幸記館長、「熊谷瞳」さん。
YTS山形テレビ「ビビる大木もびっくり!発掘 山形の一番」
■放映予定日時
令和4年4月13日(水)19時から(1時間)
番組は、ラーメン王国山形から始まり、玉こんにゃく、プリン、特盛天婦羅の蕎麦を紹介し、芸能界で一番幕末に詳しいと自負する(YTSHPから抜粋)「ビビる大木」さんと女優「のだこころ」さん、それにアナウンサーの「熊谷瞳」さんが記念館を訪ね、取材してくれたものが放映されます。
廣田館長は、現在展示されている「潜中記事」展を解説し、明治維新に果たした八郎の役割を語っています。皆さん是非ご覧下さい。
▼向かって右から、「のだこころ」さん、「ビビる大木」さん、廣田幸記館長、「熊谷瞳」さん。
06.17.16:46
~維新の魁その所以~同志を求め全国行脚、その先は~
▼クリックして拡大
歴史作家司馬遼太郎に「幕末は清河八郎が幕を開け、坂本龍馬が閉じた。」と言わせた行動の特別企画展を開催しています。
文久元(1861)年5月21日、幕府の罠による無礼人切りにより追われる身となった八郎は、虎尾の会の同志、伊牟田尚平や安積五郎、村上俊五郎と共に逃亡者となり全国を転々としますが、それはまた「攘夷討幕」を唱え、決行に繋げる全国行脚でもありました。その行動の全てを自身が書き記した日記文「潜中記事」を読み解き、時系列に表記し展示しております。
約1年4ヶ月に及ぶ逃亡生活で、八郎はどんな勤皇志士たちと会い何を話したのか。国事奔走中に果たした八郎の役割を知る貴重な資料の数々を是非間近にご覧下さい。
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▼「潜中記事」「潜中記略」「潜中始末」(いずれも山形県指定文化財)
▼「潜中記事」潜行遊説中の記録として、詩96編、文20編を収めています。
▼「潜中記略」文久元(1861)年~2年7月‥‥‥神田お玉ヶ池の自宅に同志を集め、倒幕の画策を始めた頃から、翌2年の京都挙兵計画、寺田屋事変での挫折、その後江戸に向かうまでの記録。
明治18年7月、同志石坂周造によって出版されており、これに山岡鉄舟、高橋泥舟の序文が載っています。
▼「潜中始末」同じく潜行中の記録ですが、これのみが和文で書かれています。
八郎は7月13日上州草津温泉(現群馬県草津温泉)に着いています。「潜中始末」には次の様な一節があります。
『‥‥此処にて中元13日にあたりて家中招霊の祭りを設け、香花殊に情を感ぜしむ。嗚呼我、人間の子となりて終に祖宗の家にも近づきかね、先祖の祭りは殊更に、父母にも面会ならぬ身となるぞ悲しけれ。定めて故郷の父母の情もさぞかし感慨に沈みあるべしと痛心限りなし。‥‥』
潜行中に郷里清川近くまで行っていますが、庄内藩の探索が厳しく父母と面会するのを諦めています。その時の心情を記した一節です。
草津温泉の湯畑を囲む石柱に「草津に歩みし百人」として、「尊攘派志士清河八郎 文久元年来草」と刻名されております。草津温泉を訪れた際は探してみて下さい。
次の写真は八郎ファンの方が撮影して記念館に送って頂いたものです。
▼ 草津温泉の湯畑
▼「草津に歩みし百人」の表示
▼「清河八郎」の刻名石柱
▼11月30日(火)までの開催です。
12.22.09:03
冬期間は亀ノ尾の里資料館でご覧下さい
記念館は冬期休舘(12月~2月)中ですが、今年の『清河八郎生誕190年・クラウドファンディング事業による「西遊草」復刻記念パネル展』を、庄内町亀ノ尾の里資料館(余目第4公民館)で開催しております。
全国の八郎ファンの温かいご支援で目標達成ができた、「西遊草」復刻版発刊事業を記念したパネル展関連資料を、休舘時期も広く鑑賞して頂きたく亀ノ尾里資料館と協力し合っているものです。
☟山形新聞で紹介してもらいました。
全国の八郎ファンの温かいご支援で目標達成ができた、「西遊草」復刻版発刊事業を記念したパネル展関連資料を、休舘時期も広く鑑賞して頂きたく亀ノ尾里資料館と協力し合っているものです。
☟山形新聞で紹介してもらいました。