07.13.22:30
企画展 若き清河八郎父への手紙でつづった江戸日記「清河塾開塾と商い」開催中!
安政2(1855)年、数え年26歳になった八郎はお蓮と夫婦になり、仙台での暮らしを経て江戸へ戻り、2度目の「清河塾」を開きますが再び火災で焼失しています。この頃国内は、コレラの大流行や米国総領事ハリスの来日、さらには勅許無しの日米通商条約締結など、世情が大きく揺れ動いた時代でした。八郎は3度目の塾を開く決意をし、資金繰りのため幼くして培った目利きを生かして美術品等の売買を行っています。その動きが故郷清川の父宛に送った手紙から読み解くことができます。是非八郎直筆の手紙を間近に見て頂きたいと思います。
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