12.06.18:13
清河八郎と坂本龍馬
先日、清河八郎記念館の斎藤館長より、貴重なお話を聞ける機会を頂きました。
最終回を迎えた、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」
題名どおり、主人公は日本人なら誰でも知っている、坂本龍馬です^^
毎週楽しみに見ておりましたが、楽しみが減ってしまい、少し残念です。
福山雅治さん演じる龍馬は、あまりにもかっこよすぎて、
脚本や撮影手法等、賛否両論があったようですが、
私としては、面白く見ることが出来ました^^
この坂本竜馬は、同じ北辰一刀流の達人です。同門という間柄であり、八郎が先輩に当たるわけですが、双方面識があり、竜馬は『虎尾の会』にもその名を連ねています。
八郎は嘉永4年(1851年)、22歳の時に幕末の剣聖と呼ばれた千葉周作道場に入門。
竜馬は嘉永6年(1853年)、19歳の時に千葉定吉(周作の弟)道場に入門。
師は違いましたが、同じ北辰一刀流、その剣技は2人とも一流であったと言われています。
八郎が『北辰一刀流中目録免許』を受けた年ということなので、安政5年(1858年)のことになるでしょうか、八郎29歳、竜馬24歳の時のことです。同年、竜馬は『北辰一刀流長刀兵法目録』一巻を伝授されています。
この年、親善なのか稽古なのかは定かではありませんが、八郎と竜馬の試合の記録が残っているのだそうです。
結果、八郎の圧勝。年齢と経験の差はあるものの、一片の隙も無い八郎に圧され、竜馬は八郎から1本も取ることが出来なかったそうです。竜馬は、この時の八郎の姿を、『巨岩』『巨虎』と比喩し敬意を払っています。2人とも当時としては大柄な人物でしたが、それでも、竜馬は八郎の剣威を絶賛し、八郎もまた、その屈託のない竜馬の人柄に敬意を表し、倒れた竜馬に手を差し伸べたと言うことです。
2人の関係は、当時の記録が克明に残っていないため不明な部分は多々ありますが、やり方は違えども、『日本の将来』のために国事に奔走したという点ではシンクロする部分があります。新しい時代を見ずに2人とも暗殺されてしまいますが、
八郎が『明治維新の魁』となり、竜馬は『明治維新の創造主』的存在だったと言えます。
2人の国事奔走は、激動の時代の波に儚く消えていった多くの同朋たちの志を背負っていたからこそであり、『大和魂』を今なお、私たちに教えてくれているような気がします。
最終回を迎えた、今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」
題名どおり、主人公は日本人なら誰でも知っている、坂本龍馬です^^
毎週楽しみに見ておりましたが、楽しみが減ってしまい、少し残念です。
福山雅治さん演じる龍馬は、あまりにもかっこよすぎて、
脚本や撮影手法等、賛否両論があったようですが、
私としては、面白く見ることが出来ました^^
この坂本竜馬は、同じ北辰一刀流の達人です。同門という間柄であり、八郎が先輩に当たるわけですが、双方面識があり、竜馬は『虎尾の会』にもその名を連ねています。
八郎は嘉永4年(1851年)、22歳の時に幕末の剣聖と呼ばれた千葉周作道場に入門。
竜馬は嘉永6年(1853年)、19歳の時に千葉定吉(周作の弟)道場に入門。
師は違いましたが、同じ北辰一刀流、その剣技は2人とも一流であったと言われています。
八郎が『北辰一刀流中目録免許』を受けた年ということなので、安政5年(1858年)のことになるでしょうか、八郎29歳、竜馬24歳の時のことです。同年、竜馬は『北辰一刀流長刀兵法目録』一巻を伝授されています。
この年、親善なのか稽古なのかは定かではありませんが、八郎と竜馬の試合の記録が残っているのだそうです。
結果、八郎の圧勝。年齢と経験の差はあるものの、一片の隙も無い八郎に圧され、竜馬は八郎から1本も取ることが出来なかったそうです。竜馬は、この時の八郎の姿を、『巨岩』『巨虎』と比喩し敬意を払っています。2人とも当時としては大柄な人物でしたが、それでも、竜馬は八郎の剣威を絶賛し、八郎もまた、その屈託のない竜馬の人柄に敬意を表し、倒れた竜馬に手を差し伸べたと言うことです。
2人の関係は、当時の記録が克明に残っていないため不明な部分は多々ありますが、やり方は違えども、『日本の将来』のために国事に奔走したという点ではシンクロする部分があります。新しい時代を見ずに2人とも暗殺されてしまいますが、
八郎が『明治維新の魁』となり、竜馬は『明治維新の創造主』的存在だったと言えます。
2人の国事奔走は、激動の時代の波に儚く消えていった多くの同朋たちの志を背負っていたからこそであり、『大和魂』を今なお、私たちに教えてくれているような気がします。
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12.02.09:06
清河八郎記念館の冬季休館について
12月1日(水)から2月28日(月)までの3ヶ月間、冬季休館となります。
ただし、団体等で事前に御予約いただければ、その都度開館いたしますので下記までお問合せ下さい。
●問合せ : 清河八郎記念館 TEL0234-57-2104
ただし、団体等で事前に御予約いただければ、その都度開館いたしますので下記までお問合せ下さい。
●問合せ : 清河八郎記念館 TEL0234-57-2104
11.26.09:26
藤沢周平氏の『回天の門』
藤沢氏は『回天の門』という小説で清河八郎の激動の生涯を余すところなく執筆されております。司馬遼太郎氏の「幕末-奇妙なり八郎-」「燃えよ剣」や、柴田錬三郎さんの「清河八郎」も同じように清河八郎のことを描いていますが、藤沢氏の八郎観は視点が大きく異なります。
「回天の門」執筆までの経緯は、初代清河八郎記念館(庄内町清川)館長の故成沢米三氏が藤沢氏の恩師に当たり、成沢氏に小説化を願われたためと言われています。成沢氏本人も「清河八郎」という著書があり、「回天の門」のベースとなっています。
一般的に清河八郎は「策士」というヒールなイメージがありますが、実際は八郎という人物の真意が何なのか?非常に難しいとされ歴史的な評価は定まっていないとううのが本当のところです。
尊皇攘夷の志が強く、「虎尾の会」を結成するなど倒幕の中心でありながら幕臣の山岡鉄舟、松岡 万らと親密な関係にあり親しく交わり、一見幕吏とのつながりを見せつつも、幕府の許しを受け将軍の護衛と称し「浪士組」を結成するも上京後倒幕攘夷の軍隊へと回天画策をするなど、その表面上の動きだけを取ると理解し難い点が多々あります。そこに八郎のヒール的要素と受け取られやすい誤解が生じているのかもしれません。しかし、藤沢氏の「回天の門」は、そんな八郎の姿を、実に人間臭く、葛藤の道のりを歩む人間として描くことに成功しています。庄内という風土と人を知る藤沢氏であったからこそなのかもしれません。
藤沢ブームに乗り「回天の門」映画化!を願いつつ・・・・^^
11.26.09:09
清河八郎グラフィティ好評発売中!

※当サイトは、平成9年発刊「清河八郎グラフィティ」をベースにアレンジして製作しております。
■ 『清河八郎グラフィティ』の紹介~内容~
|
◎当時の「清川村」と現在の「立川町」
◎清川の「斎藤家」とその時代 ◎清河八郎とは、どんな人だったのか ◎清河八郎の「性格」と「癖」 ◎同時代人の「清河八郎」評 ◎清河八郎-その行動の足跡 |
◎清河八郎と幕末の偉人の相関図 ◎清河八郎「年譜」 ◎清河八郎のラブレター ◎清河八郎「父への手紙」 ◎清河八郎の『日記』(抜萃) ◎清川八郎の「書」 |
=お求めの方は下記まで=
●ウインドーム立川
〒999-6601 山形県東田川郡庄内町狩川字笠山444-9
TEL/FAX 0234-56-3360
◆開館時間/9:00~17:00
◆休館日/月曜(4月~11月)、土・日・祝日(12月~3月)、年末年始
●清河八郎記念館
〒999-6606 山形県東田川郡庄内町清川字上川原37
TEL/FAX 0234-57-2104
◆開館時間/9:00~17:00
◆休館日/月曜(12月~2月は閉館) ◆入館料/400円
●あまるめホッとホーム(JR余目駅舎内)
〒999-6606 山形県東田川郡庄内町余目字沢田5-2
TEL 0234-43-3900
◆時間/6:30~18:30 ◆休館日/元旦
11.26.09:03
■紙芝居 幕末の志士「清河八郎」
![]() この紙芝居は、平成11年3月、清川公民館建設20周年記念事業として製作されました。 製作/『清河八郎紙芝居』製作委員会 絵/秋葉 玲さん 発行/庄内町清川公民館 |
●庄内町清川公民館 〒999-6601 山形県東田川郡庄内町清川字花崎1-2
TEL 0234-57-2211/FAX 0234-57-2212
E-mail:koumin-kiyo@town.shonai.lg.jp
●庄内町狩川公民館 〒999-6606 山形県東田川郡庄内町狩川字大釜13-1
TEL 0234-56-3308 /FAX 0234-56-3309
E-mail :koumin-kari@town.shonai.lg.jp

