07.25.18:40
清河八郎出島に行く‼
▼「西遊記事」(公益財団法人清河八郎記念館所蔵、山形県指定文化財)
▼公益財団法人清河八郎記念館正面
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07.08.10:22
第92回清河八郎顕彰剣道演武大会
かつては庄内地区全域から小、中、高男女の「清河八郎奉納剣道大会」として多くの参加者を得ていましたが、廃校となった校舎解体により控室が確保できなくなり、平成25(2013)年を最後に已む無く休止となっていました。
しかし県内でも数少ない長期開催の伝統ある剣道大会を懐かしむ声と、清川の地に根付いた剣道への灯を消す訳にはいかないとの声を受け、立川剣友会の声掛けに、田川地区剣道連盟が応えて頂き、代わって平成28(2016)年に剣道練成会を、令和5(2023)年には演武大会と名称変更して、清河八郎が北辰一刀流玄武館で学んだ剣の志を現代に伝えようと開催しています。








▼ 開会の挨拶:公益財団法人清河八郎記念館理事長田澤伸一代理、公益財団法人清河八郎記念館館長廣田幸記
【挨拶概要】
理事長の田澤に代わっての挨拶であると述べた後、何故清河八郎が剣術を身に付けようとしたかのエピソードを次のように話してくれました。
「八郎が江戸に居た21歳の時に京都や長崎へ勉学に出かけ、オランダ商館やオランダ船を見分した帰りに盗賊に襲われ荷物を奪われてしまう。それを取り戻してくれたのが九州大分県中津藩の人物だった。このことで八郎は自分の身は自分で守る必要性を肝に銘じ玄武官に通うようになったということを日記に書いている。そして初目録、中目録を短期間で習得している。
この大会は演武大会となっているが、大変歴史がある大会で皆さんの参加に感謝して開会の挨拶とする。」

▼ 大会長挨拶:清河八郎顕彰会会長齋藤満
【挨拶概要】
「最初に田川地区剣道連盟の皆さんには顕彰会事業にいつもご理解とご協力を頂き感謝する。
この大会も演武大会と名称が変ってはいますが92回目となり、このように長く続いている大会は珍しいと思う。地元紙によると昭和62(1987)年に56回目ということで紹介され、また県内屈指の大会であるとも紹介されている。第1回目が昭和8年、1933年で、この年に清河神社が創建されそれを記念しての大会であったと思う。
庄内町や庄内町観光協会、それに清河八郎先生関係の団体が協力し合って、NHK大河ドラマ誘致活動を展開している。どうか剣道連盟の皆さんからも一層のお力を貸していただければと思う。」

▼ 来賓祝辞:庄内町長富樫透様
【祝辞概要】
「92回になる顕彰剣道演武大会に庄内各地から大勢の皆さんに参加して頂きありがとうございます。冒頭会長の挨拶にもあったが、2030年に向けて清河八郎を大河ドラマの言うことで町を挙げて頑張っているし、特に子供たちに文武両道と言うことを伝えていきたい。
昨年は酒田市出身の佐高信先生から講演をして頂いた。その中で庄内人のDNAという話があって、庄内人の気質は不条理を正すことにあるのではと言うことを話されていた。そういう意味で、明治維新の魁となった清河八郎さんの足跡は非常に偉大だと言うことをこれからも伝えていきたい。」

▼ 祝辞:田川地区剣道連盟会長原敏様
【祝辞概要】
「92回と言う長い歴史を持つ大会は県内は元より日本中でも大変珍しいと思う。それは清河八郎先生の遺徳を長く継承すること、その地域の思いがあったからだと思う。また今日参加の先生方には小学校時代に此処の大会に参加された、そんな思いをされている方も居るのではないか。清河八郎先生の志を学び残していかなければならないと思う。この大会の運営にあたっている顕彰会、記念館、それに立川剣友会の皆様に感謝する。」

▼ 審判長説示:田川地区剣道連盟顧問阿蘇孝生
【説示概要】
例年この方式がとられ安定してきました。奉納演武大会でありまして試合時間は2分で審判ではなく立会人が一人、その方の「始め」で始まり「それまで」で終わります。
試合ではないですが、立ち合いでは日本審判規則に則って行います。2分の間で何本取っても構いません。
目の前に飾ってあります八郎先生への奉納演武でありますので、素晴らしい演武をお願いする。

▼ 日本剣道形奉納
打太刀:池田好斉四段
仕太刀:海野大善四段
一本目: 左上段 対 右上段 (面抜き面)




二本目: 正眼 対 正眼 (籠手抜き籠手)






二本目: 正眼 対 正眼 (籠手抜き籠手)


三本目: 下段 対 下段 (突き返し突き)






七本目: 正眼 対 正眼 (抜き胴)





一本目: 左上段 対 小太刀



二本目: 下段 対 小太刀



▼ 演武












▼ 閉会式
審判長講評:阿蘇孝生審判長
今日は暑い中大変ご苦労様でした。そしてフェアーな剣道を見せて頂きありがとうございました。反則もなく怪我もなかったことは何よりだった。4・5年前からこの方式を清川ルールとしてこのような奉納のやり方にしている。次回8月31日には同じ方式で羽黒山での奉納試合になる。そちらにも是非参加頂きたい。今日は本当にいい剣道を見せて頂き感謝する。

▼ 閉会の挨拶
立川剣友会会長:鶴巻隆
皆さん今日は大変ご苦労様でした。これで全日程を終了させて頂きます。ありがとうございました。

7月5日(土)は最高気温が29.1度(狩川観測所)の中、面を付け激しいぶつかり合いをするのは本当に大変な運動で、黙っていても汗がにじみ出る湿度の中、参加された皆さんは全身で暑さを感じていたことと思います。しかしながら、審判長が講評で述べた通り、怪我や体調を壊す方がいなかったのは何よりで、これも日頃から剣道で鍛えた精神と体があってこその演武大会だったと思います。文武両道の精神を伝承していく本大会を支えて頂いた立川剣友会をはじめ、田川地区剣道連盟の皆さんに心から感謝申し上げます。
▼ 記念の集合写真です。

06.08.09:35
令和7年清河神社例大祭

清河八郎が江戸麻布一ノ橋付近で幕府の刺客により暗殺されたのが文久3(1863)年4月13日(新暦5月30日)であり、この祥月命日を例大祭とし、毎年八郎を崇敬する多くの方から参列頂き遺徳を偲んでおリます。▼ 式次第

▼ 開式を告げる打鼓の軽快な音が拝殿に響きます。

▼打鼓に続き修祓の儀です。大幣を用い最初に神饌、次に宮司、参員、最後に参列者を清めます。



▼修祓に続いて祀神に敬意を表す宮司一拝が行われます。参列者も一緒に拝礼します。

▼次にいよいよ本殿の扉を開ける開扉の儀です。この時は警蹕と呼ばれる、「お~~」、「お~~」と参員の低い声が拝殿に響きます。

▼宮司祝詞を奏す。正木尚文宮司が、新しく遷座された神霊に向かい、心安らかにして参列者と地域の安寧、繁栄を見守って頂くことを念じていました。

▼清河八郎記念館出入口付近に、日本九重流詩吟学会三代宗家茂木宋洲氏作による「祭神 清河八郎に捧ぐ」の漢詩が掲示されています。

この漢詩は、平成10(1998)年頃、当時、日本九重流詩吟学会庄内支部支部長であった佐藤充洲(佐藤強)氏が、郷土の英傑である清河八郎の和歌に自ら曲をつけ吟じていたものを、庄内支部門下生の皆さんが指導を受け、色々な場所で発表していた折、三代宗家茂木宋洲氏が和歌の作者である清河八郎に興味を示し、直接清河八郎記念館に来訪されました。
例大祭では奉吟として、日本九重流詩吟学会庄内支部の皆さんの協力で毎年吟じて頂いております。今年は、同学会庄内支部長総伝八段範師相馬角洲(相馬武)氏、総伝八段範師土門登洲(土門敦)氏、それに総伝八段範師高野穹洲(高野学)氏の三名から、和歌「いざさらば」、「さくら花」、「魁て」、「砕けても」、それに「祭神清河八郎に捧ぐ」を吟じて頂きました。
清河八郎辞世の和歌となった「魁て」はYouTubeでご覧ください。▼日本九重流詩吟学会庄内支部支部長総伝八段範師相馬角洲(相馬武)氏

▼同総伝八段範師土門登洲(土門敦)氏

▼同総伝八段範師高野穹洲(高野学)氏

▼放吟に続いて玉串拝礼です。(敬称を省略して記載)
奉納して頂いた皆さんは21名で、最初に清河神社責任役員代表渡邊和能、次いで山形県議会議長・公益財団法人清河八郎記念館理事長田沢伸一、庄内町長富樫透代理副町長樋渡満、衆議院議員加藤鮎子代理秘書金丸秀明、参議院議員船山康江代理秘書渋谷廣之、参議院議員芳賀道也代理秘書阿部秀徳、庄内町観光協会会長・清河八郎大河ドラマ誘致協議会会長大滝正博代理商工観光課長高田謙、清河八郎グラフィティ著者・清河八郎親族加藤淳、最上峡芭蕉ライン観光株式会社代表取締役社長・公益財団法人清河八郎記念館顧問鈴木富士雄、株式会社荘内日報社代表取締役社長橋本政之、株式会社清川屋取締役会長伊藤秀樹、公益財団法人荘内南洲会理事長小野寺良信、大川周明顕彰会、十和建設株式会社代表取締役今野勉代理庄内支店長後藤竹也、清河八郎研究会会長小野寺雅昭、庄内町立立川中学校校長田沢明広、庄内町立立川小学校校長丸川利英、庄内町立川総合支所長阿部聡、株式会社今井建築代表取締役今井政弘、清河八郎先生の妻・お蓮生家 菅原善一、最後は、淸川地区自治会長会代表丸山富幸が捧げました。



▼閉扉の儀:本殿の扉が静かに閉じられそれと同時に「お~~」、「お~~」と警蹕の声が拝殿に響きます。

▼神事としての最後に宮司一拝が行われ、参列者も全員拝礼します。

▼ 太鼓が打ち鳴らされ神事終了を告げます。

▼ 神事の終了後に正木尚文宮司から次の概要で挨拶がありました。
「自分たちが小さい頃はこの境内でよく遊んだ。『八郎様さいてくるの~』これが決まり文句だった。神社が出来たのが昭和8年で92年が経過し、雨漏りの心配が出てきた。平成26年には一部補修もしたがさらに範囲が広がったようだ。本格的に補修となると一千四百万を超える金額になることが分かったが、創建当時の清川とは大違いで、今の清川の現状では到底実現しきれない金額になる。また八郎さんの生家齋藤治兵衛家の力も偉大だったと思う。
神社役員会で何回も話し合った結果、自力でささやかな本殿を造ることで意見の一致をみた。地元の株式会社今井建築さんの力で立派な社を作ってもらい、さる5月11日に遷座祭を行い感謝状を差し上げた。皆様にはこれからも清河神社へのご協力をお願いする。」


以上で神事の全日程を終了しました。この後は同じ場所で直会になりますが、その様子は後日お知らせします。

▼同総伝八段範師土門登洲(土門敦)氏

▼同総伝八段範師高野穹洲(高野学)氏

▼放吟に続いて玉串拝礼です。(敬称を省略して記載)
奉納して頂いた皆さんは21名で、最初に清河神社責任役員代表渡邊和能、次いで山形県議会議長・公益財団法人清河八郎記念館理事長田沢伸一、庄内町長富樫透代理副町長樋渡満、衆議院議員加藤鮎子代理秘書金丸秀明、参議院議員船山康江代理秘書渋谷廣之、参議院議員芳賀道也代理秘書阿部秀徳、庄内町観光協会会長・清河八郎大河ドラマ誘致協議会会長大滝正博代理商工観光課長高田謙、清河八郎グラフィティ著者・清河八郎親族加藤淳、最上峡芭蕉ライン観光株式会社代表取締役社長・公益財団法人清河八郎記念館顧問鈴木富士雄、株式会社荘内日報社代表取締役社長橋本政之、株式会社清川屋取締役会長伊藤秀樹、公益財団法人荘内南洲会理事長小野寺良信、大川周明顕彰会、十和建設株式会社代表取締役今野勉代理庄内支店長後藤竹也、清河八郎研究会会長小野寺雅昭、庄内町立立川中学校校長田沢明広、庄内町立立川小学校校長丸川利英、庄内町立川総合支所長阿部聡、株式会社今井建築代表取締役今井政弘、清河八郎先生の妻・お蓮生家 菅原善一、最後は、淸川地区自治会長会代表丸山富幸が捧げました。



▼閉扉の儀:本殿の扉が静かに閉じられそれと同時に「お~~」、「お~~」と警蹕の声が拝殿に響きます。

▼神事としての最後に宮司一拝が行われ、参列者も全員拝礼します。

▼ 太鼓が打ち鳴らされ神事終了を告げます。

▼ 神事の終了後に正木尚文宮司から次の概要で挨拶がありました。
「自分たちが小さい頃はこの境内でよく遊んだ。『八郎様さいてくるの~』これが決まり文句だった。神社が出来たのが昭和8年で92年が経過し、雨漏りの心配が出てきた。平成26年には一部補修もしたがさらに範囲が広がったようだ。本格的に補修となると一千四百万を超える金額になることが分かったが、創建当時の清川とは大違いで、今の清川の現状では到底実現しきれない金額になる。また八郎さんの生家齋藤治兵衛家の力も偉大だったと思う。
神社役員会で何回も話し合った結果、自力でささやかな本殿を造ることで意見の一致をみた。地元の株式会社今井建築さんの力で立派な社を作ってもらい、さる5月11日に遷座祭を行い感謝状を差し上げた。皆様にはこれからも清河神社へのご協力をお願いする。」


以上で神事の全日程を終了しました。この後は同じ場所で直会になりますが、その様子は後日お知らせします。
05.21.13:06
清河神社遷座祭
清河神社が創建されたのは昭和8年、今から92年前になります。屋根は銅板葺きになっていますが、雪国清川の冬は厳しく、毎年繰り返される落雪により銅板が摩耗し、平成26年には冬季間の凍結融解による浸透水から、屋根構造材の損傷による修理を余儀なくされ、さらに近年は、内陣への雨漏り被害が懸念される様にになっていました。
新しい銅板で葺き替えると高額な経費が必要になることが判明し、神社役員会で度重なる協議の結果、将来の維持管理も考え神社の自己資金の範囲内で、直接雨風、雪からの影響を受けない覆殿方式を用いたささやかな本殿を新築するのが最良の結果であるとの結論に達しました。
工事は、株式会社今井建築が請負、令和6年9月1日に着手、同年11月19日に完成しています。
▼拝殿と旧本殿への渡り廊下に新設なった新本殿
▼姿図
木材は、無垢の杉材で無節を基本にし、階段は欅材となっています。大きさは、高さ、幅、それに奥行き何れも1.8mで、ご神体を祀る神棚部分は高さ76㎝、幅1.8mになっています。
▼遷座祭次第
▼当日捧げた神饌
▼打鼓:儀式の始まりを知らせる太鼓の軽快な音が拝殿に響きます。
▼修祓
▼降神の儀:警蹕、開扉
降神の儀
警蹕:「お~~!、お~~!」と斎主が声を発し御霊をお招きします。
開扉:徐に本殿の扉を開きます。
▼宮司祝詞を奏す
▼玉串奉奠
最初に正木尚文宮司、次いで渡邊和能清河神社責任役員代表、それに工事の受注者である、今井政弘株式会社今井建築代表取締役が捧げました。
▼昇神の儀:警蹕、閉扉
警蹕:「お~~!、お~~!」と斎主が声を発し御霊を元の御座にお帰り
頂きます。
閉扉:徐に本殿の扉を閉じます。
▼打鼓
儀式の終了を告げる太鼓の音が拝殿に響きます。
▼感謝状贈呈
工事受注者である今井政弘株式会社今井建築代表取締役に正木尚文宮司から感謝状の贈呈を行いました。
▼宮司挨拶
挨拶概要
「いま、八郎様さいてくる~。」そんな言葉を家族に残し、ここでよく遊んだものです。「八郎様」とは清河神社に親しみを込めて呼んでいたもので、今なお「八郎様」と呼んでいる人が多いと思われます。
さて、昨年地区の皆さんには回覧でお知らせしましたが、本殿屋根下地の腐敗が進み、早急に補修する必要があったのですが、屋根全体を復元するとなると、一千四百万円を超えることが分かった訳です。
最近の地区の世帯減少、高齢化などの現状を勘案し、自己資金の範囲で新たな本殿を造ることになり、お陰様で竣工にこぎ付けました。「八郎様」には申し訳ないのですが、現状をご理解頂きまして、今後ともご加護の程をお願いし、御礼したいと思います。
▼新本殿竣工記念撮影
11.01.09:26
令和6年度特別企画展ギャラリートーク開催
令和6年10月24日(木)、公益財団法人清河八郎記念館を会場に、今年の特別企画展[「赤心報国回天倡始」の尊皇攘夷]を提案、企画した池田定志氏(元庄内町教育長、現公益財団法人清河八郎記念館理事)によるギャラリートークが開催されました。約30人の聴講者を前にして、清河八郎は幕末期に庶民の苦しみを救わんと、「経世済民」の理想を掲げ、挙国一致(オールジャパン)による攘夷決行を目指したと解説してくれました。
▼開会の挨拶をする廣田幸記公益財団法人清河八郎記念館館長
▼今年の特別企画展の狙いを解説する池田定志氏

※ 以下の文章は、池田氏本人から講義の大筋としていただいた原稿です。
八郎の尊皇攘夷は「赤心報国回天倡始」
尊攘急進派として九州遊説をし、志士たちを奮い立たせ、薩摩藩と京都挙兵を試み、明治維新の扉を開いた。
さらに、幕府の尽忠報国の志士募集に積極的に協力し浪士隊を結成した。後の新選組、新徴組となる。京都で尊皇攘夷運動が最高潮に高まる中で、幕府の攘夷活動の実行促すべく計画した。この機を活かし、朝廷のもと国を挙げて国難を乗り越えようとした企画は、時代がまだ熟していなかった。
八郎には薩摩藩であろうが幕府だろうが挙国一致の国造りの道筋になればよかった。外国に侮られないオールジャパンの国づくりを目指したと考えられる。
また、広く身分を超えて有能な人材を登用し、慎重に開国し、富国強兵をめざしたと推測される。心から体制の御一新を願い、命がけで時代を先取りした秀才であった。
▼開会の挨拶をする廣田幸記公益財団法人清河八郎記念館館長
▼今年の特別企画展の狙いを解説する池田定志氏
※ 以下の文章は、池田氏本人から講義の大筋としていただいた原稿です。
尊攘急進派として九州遊説をし、志士たちを奮い立たせ、薩摩藩と京都挙兵を試み、明治維新の扉を開いた。
さらに、幕府の尽忠報国の志士募集に積極的に協力し浪士隊を結成した。後の新選組、新徴組となる。京都で尊皇攘夷運動が最高潮に高まる中で、幕府の攘夷活動の実行促すべく計画した。この機を活かし、朝廷のもと国を挙げて国難を乗り越えようとした企画は、時代がまだ熟していなかった。
八郎には薩摩藩であろうが幕府だろうが挙国一致の国造りの道筋になればよかった。外国に侮られないオールジャパンの国づくりを目指したと考えられる。
また、広く身分を超えて有能な人材を登用し、慎重に開国し、富国強兵をめざしたと推測される。心から体制の御一新を願い、命がけで時代を先取りした秀才であった。
